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'''成田国際空港'''(なりたこくさいくうこう、通称:'''成田空港'''、 [[英語|英]]:Narita International Airport、[[空港コード#IATA空港コード(3レターコード)|IATA空港コード]]:'''NRT''')は、[[千葉県]][[成田市]]の南東部、[[三里塚]]地区にある[[国際空港]][[首都圏]]に発着する国際線や、主要都市への国内線[[航空]]便が発着する[[第一種空港]]である。[[日本航空]][[全日本空輸]]と[[アメリカ合衆国]]の[[ノースウエスト航空]]<!--UAはハブとは言えないのでは? 他ページでは拠点都市として表記されてます。 [[ユナイテッド航空]]-->の[[ハブ空港]]でもある。
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'''成田国際空港'''(なりたこくさいくうこう、{{lang-en-short|Narita International Airport}})は、[[千葉県]][[成田市]]の南東部、[[三里塚]]地区にある[[国際空港]]である。[[首都圏 (日本)|首都圏]]に発着する国際線や、主要都市への国内線[[航空]]便が発着する、[[空港法]]4条で法定されている[[空港]]で、航空法上の[[混雑空港]]である。
  
[[2004年]][[4月1日]]、成田国際空港株式会社法が施行され、空港を管理する新東京国際空港公団 (<u>N</u>ew Tokyo International <u>A</u>irport <u>A</u>uthority, NAA) が成田国際空港株式会社 (<u>NA</u>rita International <u>A</u>irport Corporation, NAA) と名称を変え民営化([[特殊会社]]化)された。これに合わせ、空港の名称も、従来より、成田地区住民の立地負担により稼働している空港が(または東京から遠く離れた成田にある空港が)「東京」を称するのはおかしいとも批判されていたことを踏まえ、それまでの'''新東京国際空港'''から正式に'''成田国際空港'''へと改称された。英字略称は公団時代も現在も同じ「'''NAA'''」である。
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かつての正式名称は「'''新東京国際空港'''」であったが、[[2004年]][[4月1日]]、[[成田国際空港株式会社法]]が施行され、空港を管理する[[新東京国際空港公団]]('''N'''ew Tokyo International '''A'''irport '''A'''uthority, '''NAA''')が、[[日本国政府]]による100%出資で設立された[[成田国際空港 (企業)|成田国際空港株式会社]]('''Na'''rita International '''A'''irport Corporation, '''NAA''')に改組し民営化([[特殊会社]]化)されたことに伴い、改称された。「'''NAA'''」の略称は、旧公団時代から引き継がれたものである。
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日本国内では、上記の改称以前から広く「'''成田空港'''」もしくは単に「'''成田'''」という呼び方が定着している。また、国際的な視点から見ると、日本国の首都である[[東京]]の国際空港として機能しているため、千葉県内に空港が所在しながらも便宜上「'''東京成田'''」({{lang-en-short|Tokyo-Narita}})あるいは単に「'''東京'''」とも言われることがあるが、[[東京国際空港|東京国際空港(通称:羽田空港)]]と区別するため前者が用いられることが多い。
  
 
==空港概要==
 
==空港概要==
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===空港機能===
 
===空港機能===
[[[[ファイル:成田国際空港施設配置図.png|thumb|全体計画図]]
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[[ファイル:成田国際空港施設配置図.png|thumb|全体計画図]]
日本で最長の4000mの[[滑走路]]をもち、日本の空の玄関口のひとつであるが、建設反対闘争が激しく、政府が[[土地収用法]]に基づく[[行政上の強制執行|強制執行]]を行ったが限界があった。そのため、開港後30年近く経過しながら未だに全体計画は完了していない。開設後の拡張工事も進まず、騒音問題からの使用時間制限などもあり、羽田空港の拡張や[[航空自衛隊]][[百里飛行場|百里基地]][[茨城県]][[小美玉市]])軍民共用化([[百里飛行場]])を行なう計画が進んでいる。
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日本を代表する空の玄関口([[ハブ空港]])の一つであるが、[[#歴史|歴史的経緯]][[成田空港問題]])により、開港後35年以上経過した[[2014年]]現在も、建設計画自体が完了していない。開港後の拡張工事も進まず、[[騒音問題]]から23時〜6時([[日本標準時|JST]])の離着陸禁止や<ref>{{PDFlink|[http://www.naa.jp/jp/airport/pdf/kitei_01.pdf 成田国際空港供用規程 空港整備・運営 (成田国際空港株式会社), (2012年8月27日) 2013年3月21日閲覧。}}</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.naa.jp/jp/airport/pdf/kitei_02.pdf 成田国際空港管理規程] 空港整備・運営 (成田国際空港株式会社), (2009年9月30日) 2013年3月21日閲覧。}}</ref><ref name="nikkei20130320" />、[[東京都区部]]からのアクセス時間の長さ、国内線乗り入れ便数の極端な少なさなどの問題もあり、[[東京国際空港|羽田空港]]の再拡張や再国際化や24時間運用が進められた。これに対し、成田空港も[[京成成田空港線]]の開業によるアクセス向上や、発着枠の拡大、23時~24時の例外的離着陸容認などで、競争力を高めようとしている<ref name="nikkei20130320" />。
  
第2滑走路も土地買収が進まないため、計画の2500mより短い2180mの暫定滑走路のまま使用している。また現在求められている機能に対しても、[[騒音]]問題のため深夜や早朝の離着陸ができないなど、不十分な状態が続いている。それらのことから、ラッシュ時には滑走路手前の誘導路に航空機の列があったり、長時間上空待機する航空機が多い。成田国際空港株式会社が2180mの第2滑走路の延長に着手し2500mに伸ばす事に決定したが、騒音源が近くなるなどの事情により本来の計画とは反対側の北側の方に伸ばすことを決めた。しかし、この決定ではターミナルからさらに遠くなるという事情もあり、話し合いは泥沼化している。当初の予定では2010年竣工だった。B滑走路の効率性向上に、滑走路延長だけではなく、誘導路整備が急務で平行誘導路で「への字」に湾曲している部分に限っての『[[行政代執行]]』も検討されている。詳細は「[[#歴史|歴史]]」の節を参照。
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[[1992年]]の第2ターミナル完成に伴い、[[管制塔]]からの航空機視認性が悪化するため新たな管制塔が造られた。従来の管制塔はランプタワーとして地上管制業務の一部を行い、新たな管制塔は航空管制業務を行う施設となっている。
  
2500m滑走路が完成すると、燃料がほぼ空になった状態の[[ボーイング747]]旅客機の着陸が可能になるほか、中型機の離着陸には問題のない長さになるので、成田国際空港の発着数がかなり改善することが期待される。しかしB滑走路に並行する誘導路の一部が「への字」に湾曲しており、B747やB777-300の通過が極めて難しく、B滑走路東側に新たに平行誘導路が設置される予定。
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==== A滑走路 ====
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A滑走路(第1滑走路)は、[[関西国際空港]]の第2滑走路(06L/24R)と並び、[[日本国]]内では最長の4,000m[[滑走路]]を有している。
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しかし、開港以降も、A滑走路南端から約800[[メートル|m]]の位置に反対派の「[[団結小屋]]」が建つ未買収地が234[[平方メートル|m&sup2;]]残っていたため、アプローチ帯を建設できず、本来そこにあるべき[[進入灯]]をA滑走路南側内に750mにわたって設置せざるを得ず、南側から着陸する場合は実質3,250[[メートル|m]]の滑走路としてしか利用できなかった。その後、当該範囲の土地取得により、[[2009年]]度([[平成]]21年度)から、A滑走路南側内にある進入灯をアプローチ帯へ移設する工事を行い、[[2012年]]([[平成24年]])[[12月13日]]に4,000mの滑走路として完全運用を開始した<ref name="a-larea">[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG13010_T11C12A2CC0000/ “成田空港の離着陸を午前0時まで容認 市、悪天候などに限り”]. 日本経済新聞. 共同通信. (2013年3月20日) 2013年3月20日閲覧。</ref>。
  
計画されているC滑走路(第3滑走路)は長さ3200m・幅60mの横風用で建設は凍結されている。仮に横風用滑走路が完成すれば、強い北風・南風の際の着陸が容易になる。現在一部が誘導路として使用されている。また、完成すれば気象変化による離着陸の遅れの減少、発着の効率性の向上・発着枠の増大が期待できる。
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==== B滑走路 ====
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B滑走路(第2滑走路)は、2002年5月に開かれた[[2002 FIFAワールドカップ|日韓ワールドカップ]]に間に合うよう、同年4月18日に、当初計画の長さより短い2,180mの平行滑走路として暫定的に供用開始された。これは滑走路の用地買収が進まず、反対派住民の住居などを避けるため、B滑走路の一部を計画時より北西側に延伸させたためである。
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延長が短いためB滑走路の離着陸には制約が設けられ、重量の大きな[[ボーイング747]]以上の大型機と[[貨物機|貨物]]を含む長距離国際線には使用できず、中小型機と国内線・近距離国際線のみに使用された。
  
A滑走路に並行する誘導路の滑走路化やB滑走路東側に平行滑走路建設が検討されてはいるが、誘導路の滑走路化では滑走路と誘導路との間が規定より狭くなる為実現は難しく、B滑走路東側に平行滑走路建設はB滑走路東側に石油タンクが出来てしまい、こちらも実現は難しい。
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本来の長さである2,500mへの延伸は、反対派の敷地を避けるため、条件派の土地を収用して空地となった北西方向へ320m延長する案が提示された。2006年8月開催の公聴会意見を踏まえて同年9月11日に当時の[[国土交通大臣]]・[[北側一雄]]がこの案を認可し、2009年10月22日から2,500mでの供用が開始された(方角と大臣姓双方の語句から俗に'''北側延長'''と言われている)。供用開始時期は当初2010年3月としていたが、2009年3月23日に発生した[[フェデックス80便着陸失敗事故]]の影響を受け、成田国際空港会社と国土交通省が協議をした結果、前倒しでの実施となった。詳細は「[[#歴史|歴史]]」の節を参照。B滑走路では2,500m化に伴い、重量が大きく長い離着陸滑走距離が必要になる([[エアバスA380]]を除いた)大型機の着陸が可能となった。また、長距離国際線では[[アメリカ西海岸]]地域や[[モスクワ]]へ向かう直行便が離陸できるようになった。
  
周辺地域住民への環境配慮も必要で、成田空港では、開港以来、住宅などの防音工事に400億円超、電波障害対策に200億円超など、合計3200億円超の環境対策事業を実施しており、今後も実施され続ける予定である。
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しかしB滑走路に並行する西側[[誘導路]]の一部が、空港反対派民家とその所有地を避けるため滑走路側に向かって「への字」に湾曲していた。このため、この部分を走行する航空機は離着陸機の滑走に合わせて一時待機を余儀なくされていた。これを解消するため、成田空港会社はすでに用地収得済みの「への字」部分についてカーブを緩やかにする改修工事を2010年11月末までに完成させ、2011年3月10日より一時待機は廃止された。これにより滑走路との安全距離が確保され、誘導路上での一時待機が無くなり発着効率が大きく向上した。
  
他の空港とは違い、空港に通じるすべての車両入り口、成田空港駅、空港第2ビル駅、東成田駅の出口改札に、建設反対の[[過激派]]や[[テロリズム|テロ]]の警戒のため検問所が設置されており、[[千葉県警察成田国際空港警備隊|空港警備隊]]の検問など警備が厳しく(専門の警察[[機動隊]]である「[[千葉県警察成田国際空港警備隊]]」が常駐<!--、「[[戒厳令]]空港」などと揶揄されている-->)、空港敷地内への入場に際しては旅行者・従業員のほか見学・送迎その他の入場客についても、空港警備員から[[身分証明書]]([[パスポート]]・[[運転免許証]]・学生証等)の提示と来場理由を確認(旅客の場合は、航空券の提示を求められる場合もある)するため、時間がかかる場合があり、また警備の都合上、旅客と空港関係者以外の空港敷地への立ち入りが禁止されることも少なからずある。空港警備隊とは別に、空港会社でも警備組織を子会社に置いており、空港警備にあたっているが、その分の警備費は年間100億円近くになる。(2005年の場合、94億円)
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2009年7月30日には、B滑走路東側に新誘導路が供用開始され、東側誘導路は「離陸(出発)機専用」・西側誘導路は「着陸(到着)機専用」となり、誘導路の使い分けにより離陸までの時間短縮が可能になった。これにより、第2旅客ビル北側において着陸機がある時に行っていたB滑走路へ入るホールド(待機)は廃止され、ホールドスポットも廃止された。また2012年度末に新たにB滑走路西側誘導路と第2旅客ビル地区とを結ぶ誘導路増設工事を進めていたが、2013年3月7日より約720メートル延長された新誘導路と横堀地区エプロンを供用開始した<ref name="naritapress">[http://www.naa.jp/jp/press/pdf/20130104_1.pdf 成田国際空港株式会社プレスリリース 2013年1月4日]</ref><ref name="mainichi37">“[http://mainichi.jp/select/news/20130307k0000e040175000c.html 成田空港:B滑走路に新誘導路 発着便増加へ]”. 毎日新聞. (2013年3月7日) 2013年3月20日閲覧。</ref><ref name="jijitsu37">[http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2013030700078 “航空自由化に向け準備着々=新誘導路など供用開始-成田空港”]. 時事通信社. (2013年3月7日) 2013年3月7日閲覧。</ref>。新西誘導路の供用開始により、第2旅客ターミナルビルのサテライトから出発した航空機がB滑走路南端から離陸する場合従来の東側誘導路を通るより走行距離が約1800m短縮され、所要時間も約220秒短縮されたことにより、2本の滑走路の発着数が1時間当たり58回から64回に増え、年間発着枠も25万回から27万回に拡大された<ref name="naritapress"/><ref name="mainichi37"/><ref name="jijitsu37"/>。
  
===貿易港としての機能===
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==== C滑走路 ====
成田空港の2004年(平成16年)度の[[輸出]]額は10兆6572億円、[[輸入]]額は10兆2978億円と、金額で国内第1位の貿易港である。輸出入品目としては、コンピュータ等の事務用機器、半導体など軽量で付加価値の高い機械機器等が中心となっている。
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C滑走路(第3滑走路)は、長さ3,200m・幅60mで主に横風用滑走路<ref>滑走路方向は南側「03」、北側「21」で予定。</ref>として計画されているが、建設工事は凍結中でC滑走路用地はC誘導路として使用されている。
  
*主な輸出品目(平成16年度):半導体等電子部品 (17.4%)、科学光学機器 (9.4%)、映像機器 (8.2%)、事務用機器 (6.8%)、音響・映像機器の部分品 (4.0%)
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横風用滑走路が整備された場合、強い北風・南風の際の着陸が容易になり、離着陸の遅れの減少、発着の効率性の向上・発着枠の増大が期待できる。しかし、空港反対派の熱田派はC滑走路用地内から撤退したものの、C滑走路用地内に別の空港反対派の所有地や、空港反対派支援者・協力者の一坪運動共有地が多数存在しており、またC滑走路南側部分の航空機整備施設区域に接している所には、駐機スポットが7スポット(512番、511番、510番、509番、508番、507番、506番)増設されている。誘導路を滑走路として再整備を行う際は、これらの7駐機スポットを撤去し代替の駐機スポットの用地が改めて必要となる。またC滑走路南側延長線上の[[山武市]]、[[富里市]]および北側延長線上の成田市[[大栄町 (千葉県)|大栄地区 (旧大栄町)]]が飛行コース下になることから、新たな騒音問題が発生する可能性がある<ref>[http://www.page.sannet.ne.jp/km_iwata/yatimata.html 「八街市に予想される航空公害」]</ref>。
*主な輸入品目(平成16年度):事務用機器 (15.6%)、半導体等電子部品 (14.5%)、科学光学機器 (7.9%)、音響・映像機器(含む部品)(4.3%)、医薬品 (3.6%)
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また、成田空港には、[[マグロ|まぐろ]]など魚介類の輸入通関が多く(平成15年度7万1924トン、国内の漁港第8位の[[松浦港]]の水揚げ量9万7805トンに次ぐ取扱量)、「成田漁港」の別名がある。
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[[2009年]][[9月17日]]、成田国際空港会社はC滑走路上の6件の一坪共有地について訴訟を起こし、[[2013年]][[4月25日]]、2件54人の地主に対して最高裁が持ち分売却を命ずる判決を下し、一連の裁判は4ヵ所で空港会社の勝訴、2ヵ所が和解で終結した<ref name="mainichi20130427">[http://mainichi.jp/area/chiba/news/20130427ddlk12040090000c.html “一坪共有地:売却訴訟 NAA側が勝訴 支援者の上告却下 /千葉”]. 毎日新聞. (2013年4月27日) 2013年4月29日閲覧。</ref><ref name="chibanippou20130427">[http://www.chibanippo.co.jp/c/news/national/134263 “空港反対派の敗訴確定 「一坪共有地」訴訟終結”]. 千葉日報. (2013年4月27日) 2013年4月29日閲覧。</ref><ref name="tokyo20130427">[http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20130427/CK2013042702000152.html “一坪共有地 反対派の敗訴確定 成田空港 最高裁が上告却下”]. 東京新聞. (2013年4月27日) 2013年4月29日閲覧。</ref>。
  
(参考:「成田空港の貿易動向」平成17年2月 東京税関資料)
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=== 貿易港としての機能 ===
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成田空港の2004年(平成16年)度の[[輸出]]額は10兆6572億円、[[輸入]]額は10兆2978億円と、金額で国内第1位の貿易港である。輸出入品目としては、コンピュータなどの事務用機器、半導体など軽量で付加価値の高い機械機器等が中心となっている。
  
===交通機関===
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* 主な輸出品目(平成16年度):半導体等電子部品(17.4%)、科学光学機器(9.4%)、映像機器(8.2%)、事務用機器(6.8%)、音響・映像機器の部分品(4.0%)
*東京都心までは60km程度離れており、東京への用務客は移動に要する時間が長い。そのために当初は東京~成田間を[[成田新幹線]]や[[磁気浮上式鉄道|リニアモーターカー]] ([[HSST]]) で結ぶ計画もあったが、建設コストの割に速達効果が薄いなどから中止となる。
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* 主な輸入品目(平成16年度):事務用機器(15.6%)、半導体等電子部品(14.5%)、科学光学機器(7.9%)、音響・映像機器(含む部品)(4.3%)、医薬品(3.6%)
*空港建設が難航した為、余波を受け千葉県内の[[道路]]・[[鉄道]]などの[[公共事業]]の計画は大幅に狂ってしまった。空港建設時の様々な問題から千葉県では[[収用委員会]]が機能停止してしまい、道路や鉄道建設の用地取得が進まなくなってしまったためである<ref>[http://www.jice.or.jp/room/archives/20050413.html 財団法人国土技術センターのサイトより]</ref>。
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*[[1978年]]には[[京成電鉄]]が成田空港駅(現在の[[東成田駅]])まで[[京成上野駅|上野]]から直通特急「[[スカイライナー]]」を運行開始したが、肝心の空港へは駅から[[バス (交通機関)|バス]]へ乗り継ぐ必要があり、利用客は伸びなかった。しかし現在は空港ターミナル地下の駅から発着するようになり、利便性が増している。
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*[[1991年]]には、直通の軌道系交通機関がないため「世界一不便な国際空港」と呼ばれていた状況をみた当時の運輸大臣・[[石原慎太郎]]の鶴の一声により、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)と京成電鉄の路線が、建設中止になっていた[[成田新幹線]]([[東京駅]]~[[成田空港駅]]間)の路盤の一部を活用してそれぞれ分岐・延伸し、成田空港に乗り入れることとなった([[成田空港高速鉄道]]も参照)。現在は京成線の短絡線として[[北総鉄道北総線|北総線]]の延伸工事([[京成成田新高速鉄道線]])が進行中であり、これにより東京都内から成田空港への所要時間の短縮が見込まれる<!--(ただし、北総線の運賃が極めて割高であるなどの問題も抱えている←運賃は現行と同一水準にとどめる事も検討されている)-->。
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*国内線が、[[新千歳空港]]、[[仙台空港]]、[[小松空港]]、[[中部国際空港]]、[[大阪国際空港]]、[[広島空港]]、[[福岡空港]]、[[那覇空港]]の計8つの空港に就航しているが、各々便数が限られており、国内線と国際線との乗り継ぎは限られる(関西国際空港便、中部国際空港便の一部は国際線乗継専用便としての国際線扱い。国内線扱いの関西国際空港便は休止中)。このため、国際線から国内線への乗り継ぎは都心を横断した先の[[東京国際空港]]で行うことになる<!--が、距離がありすぎて当日乗り継ぎには向かない-->(航空会社の国内線時刻表では羽田発着国内線~成田発着国際線の乗り継ぎ時間は3時間以上と案内されている)。これらの背景から、地方都市からは、より国内線網が充実している[[関西国際空港]]や[[中部国際空港]]経由で海外に向かうケースが多く見受けられる<!--(たとえば、札幌から米国へ向かう旅客の約1割が、当日乗継が便利な関西国際空港経由で出国しているという説も存在する)-->。また、同様の理由から、国内地方都市との路線を多く持つソウル([[仁川国際空港]])経由(主に[[大韓航空]]や[[アシアナ航空]])で海外へ向かうケースも見られる。
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*一部海外のガイドブックに「エラーポート」と評されるほどの利便性の悪さは、航空機による移動が身近なものとなった今日、無視できないものになってきている。これは世界の主要空港との比較で大きく見劣りする点であるが、急速な航空事情の変化や、日本の国土事情などを鑑みると、容易には解決できない問題でもある。
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*近年、[[関西国際空港]]、[[神戸空港]]、[[中部国際空港]]など、主に[[西日本]]の海上大規模空港の急ピッチの建設、増設を巡る諸問題も、上記における成田空港の空陸両面の輸送上の機能不全から空港充実が急務として(それだけが原因ではないが)、建設が後押しされていった側面もある。
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<references />
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また、成田空港には、[[マグロ]]など魚介類の輸入通関が多く(平成23年度3万7916トン)、'''成田漁港'''の別名がある<ref>[http://www.customs.go.jp/tokyo/content/narita_seisen_2011.pdf 平成23年分 成田空港生鮮貨物輸入動向] 東京税関</ref>。
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=== サービス施設使用料 ===
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国際線で出発する旅客に対し、旅客サービス施設使用料(PSFC)、旅客保安サービス料(PSSC)を、航空券の発券の際に徴収している<ref>[http://www.naa.jp/jp/b2b/fap/charge/ps.html 旅客サービス施設使用料(PSFC)・保安サービス施設使用料(PSSC)] 成田国際空港</ref>。
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* 旅客サービス施設使用料(PSFC) 出発客: 大人2,090円 小人1,050円
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* 旅客サービス施設使用料(PSFC) 乗継客: 大人1,050円 小人520円
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* 旅客保安サービス料(PSSC):520円
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2014年9月現在、国内線旅客に対しては無料であるが、徴収を検討していることが明らかとなった<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2014090900420 国内線にも施設使用料=1人1000円以内-成田空港] 時事通信 2014年9月9日</ref>
  
 
===空港ターミナル===
 
===空港ターミナル===
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(参考:[http://www.naa.jp/jp/airport/seibi_airline.html 成田国際空港株式会社 - 航空会社再配置計画])
 
(参考:[http://www.naa.jp/jp/airport/seibi_airline.html 成田国際空港株式会社 - 航空会社再配置計画])
  
==歴史==
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== 歴史 ==
===開港まで===
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=== 新空港建設の検討 ===
[[1960年代]]になると、年々増大する国際輸送についての[[航空機]]の重要性が高まったが、当時の国際線の主力空港であった[[東京国際空港|羽田空港]]は手狭であり、再拡張により航空需要に対応しようと検討したが、
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[[1960年代]]になると、大型ジェット旅客機の増加に加え[[高度経済成長]]により年々増大する国際輸送における[[航空機]]の重要性が高まったため、滑走路の拡充による発着能力の向上が望まれた。加えて、1960年代中に就航すると予想され[[日本航空]]も発注した超音速旅客機の就航による滑走路の長大化も求められた<ref>[http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa40/ind110303/004.html 新東京国際空港の建設]</ref>。そのため、[[東京国際空港|羽田空港]]の再拡張により航空需要に対応しようと検討が開始されたが、
*沖合に拡張した場合[[東京港]]の港湾計画との調整が極めて難しい事。
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* 羽田空港の沖合に拡張した場合、[[東京港]]の港湾計画との調整が極めて難しい。
*当時の港湾土木技術では難工事になる事
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* 当時の港湾土木技術では不可能であった。
*航空機の離着陸経路の設定が著しい制約を受ける事
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* [[アメリカ空軍]]管制区域([[横田飛行場]]上空の「横田ラプコン」)などとの兼ね合いから、航空機の離着陸経路の設定が著しい制約を受ける。
*仮に拡張出来たとしても、空港の処理能力は20%~30%程度の増加に留まる事
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* 仮に拡張できたとしても、空港の処理能力は20% - 30%程度の増加に留まる。
などから長期的航空機輸送需要に対応できない事が判明した。この為、当時の[[運輸省]]は、首都圏内の他の場所に新空港を建設する為の検討に入った。
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などの理由から<ref>[http://www.naa.jp/jp/naa/yakuwarigenjyo/2011/contents.html 成田空港〜その役割と現状〜2011 第4章1]</ref>、羽田空港の拡張のみでは長期的航空機輸送需要に対応できないことが判明した。
  
そこで、「新東京国際空港」として建設計画が立てられ、当初は[[千葉県]]富里村(現・[[富里市]])を建設予定地としていたが、地元[[地方公共団体|自治体]]との調整は難航した。そのため、[[1966年]][[佐藤栄作]]内閣は、建設予定地を同県[[成田市]]三里塚に変更した。[[国有地]]である[[宮内庁下総御料牧場]]や県有林、またその周辺の土地は開拓農民達の物であった為、用地買収は容易に進むと考えたからである。
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=== 新空港建設と反対運動 ===
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このため、[[1962年]]より新たな東京国際空港の候補地についての調査が開始され、当時の[[運輸省]]は[[1965年]][[6月1日]]に成立した「新東京国際空港公団法案」をもとに、「新東京国際空港」として新東京国際空港公団を中心に新空港を建設するための候補地の検討に入った。候補地としては、[[千葉県]][[東葛飾郡]]浦安町(現・[[浦安市]])沖の埋め立て地や[[印旛郡]]富里村(現・[[富里市]])、[[茨城県]][[霞ケ浦]]、[[横浜市]][[金沢区]]の金沢八景沖の埋め立て地などがあげられた後で<ref>[http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa40/ind110303/004.html 新東京国際空港の建設]</ref>、最終的に[[佐藤栄作内閣]]([[中村寅太]][[運輸大臣]])は、建設予定地を同県成田市三里塚に変更することを[[1966年]][[7月4日]][[閣議決定]]した。これは、[[国有地]]である[[宮内庁下総御料牧場]]や県有林、またその周辺の土地は[[開拓]]農民(その多くは[[満州]]からの[[引き揚げ]]者)の物であったため、用地買収は容易に進むと考えたからである<ref>時をほぼ同じくして、[[日本中央競馬会]]も関東馬の厩舎が飽和状態にあった為、大規模な競走馬収容施設を探しており、三里塚もその候補地に挙がっていた。しかし先に空港決定が決まったために、新たな用地を探すことになった。これが後の[[美浦トレーニングセンター]]である。2009年に入って『[[週刊Gallop]]』が美浦トレセンの誕生秘話を連載した中で、このことが触れられている</ref>。
  
しかし、地元農民は土地を失うことや騒音問題から反発し、「三里塚・芝山連合空港反対同盟」を結成し反対活動を始めた。さらに[[新左翼]]が、新空港は日本に新たな軍事基地を作るものだとして反対活動に参加し、運動が過激化した(''[[三里塚]]の項も参照'')。用地買収は停滞したため、政府は土地収用法に基づき[[行政代執行]]を[[1971年]]に2回実行、警察官に死者を出しながら([[東峰十字路事件]])、ようやく1期工事の用地を取得した。反対派は鉄塔を建てて対抗していたが、[[1977年]][[5月6日]]にこの鉄塔は撤去された。これに抗議する集会で反対派と機動隊が激突し、学生1名が死亡した。
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しかし、地元[[農民]]の一部は買収に伴う移転や[[騒音問題]]から空港建設に猛烈に反発し、「[[三里塚芝山連合空港反対同盟]]」を結成し反対活動を開始した。更に[[日本の新左翼]]が支援を開始し激しい実力行使や[[ゲリラ]]闘争が行われた([[三里塚闘争]])。用地買収は停滞したため、政府は[[土地収用法]]に基づき[[行政代執行]]を[[1971年]]に2回行い、1期工事の用地を取得した。この際、警備の警察官3名が反対派による襲撃を受け[[殉職]]した([[東峰十字路事件]])。また、反対派は鉄塔を建てて対抗したが、[[1977年]][[5月6日]]に撤去された。これに抗議する集会で反対派と機動隊が激突し、反対派支援者1名が死亡した([[東山事件]])。また反対派によって芝山町長宅前臨時派出所が襲撃され、警察官1人が殉職した([[芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件]])。
  
[[1978年]][[3月26日]]、開港直前になって成田空港に過激派[[ゲリラ]]が管制塔に乱入し、[[管制塔]]内の機器を破壊した。このため開港が[[5月20日]]まで延期となった。関連して1978年[[5月5日]]には京成電鉄の成田空港連絡特急「[[スカイライナー]]」用車両([[京成AE形電車]])が[[京成電鉄の車両検修施設|宗吾車庫]]で放火され、1両を焼失した他、数編成が被害(後に復旧)を受けダイヤに支障をきたした。開港後も過激派の活動が続き、警察は厳重な警備を敷いた。政府は「この暴挙が単なる農民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取締りのため断固たる措置をとる」と声明を出し、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を制定した。この管制塔襲撃事件を契機に、空港の安全確保のため、[[千葉県警察]]本部警備部に新東京国際空港警備隊が発足し、現在の[[千葉県警察成田国際空港警備隊|成田国際空港警備隊]]に至っている。
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開港4日前にあたる[[1978年]][[3月26日]]、成田空港に反対派ゲリラが[[管制塔]]に乱入し管制塔内の機器を破壊した([[成田空港管制塔占拠事件]])ため、開港が[[5月20日]]まで延期となった。関連して1978年[[5月5日]]には[[京成電鉄]]の特急「[[スカイライナー]]」用車両が[[京成電鉄の車両検修施設|宗吾車庫]]で放火され、1両が焼失したほか、数編成が被害(後に復旧)を受けダイヤに支障をきたした([[京成スカイライナー放火事件]])。開港後も[[過激派]]の活動が続き、警察は厳重な警備を敷いた。
  
このような混乱の一因となったのが、政府も自ら認めているように、所謂「ボタンの掛け違え」があったにもかかわらず強引な手法で建設を強行したことである。この結果反対住民は引くに引けない状況に追い込まれ、最終的には反対運動に外部の過激派を引き入れてしまうことになった。
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[[福田赳夫]]内閣は「この暴挙が単なる農民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取締りのため断固たる措置をとる」と声明を出し、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を制定した。この管制塔襲撃事件を契機に、空港の安全確保のため、[[千葉県警察]]本部警備部に新東京国際空港警備隊が発足し、現在の成田国際空港警備隊に至っている。
  
===開港後===
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=== 開港後 ===
[[1978年]][[5月20日]]に開港したものの、それ以後も極左暴力集団によるテロ・ゲリラ事件などが多発し、特に[[1985年]](昭和60年)[[10月20日]]には千葉県成田市の三里塚交差点で極左グループと警視庁[[機動隊]]が衝突した事件が発生した(「[[10.20成田現地闘争]]」)。
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1978年5月20日に開港したものの、それ以後も反対派によるテロ・ゲリラ事件などが多発し、特に[[1985年]](昭和60年)[[10月20日]]には千葉県成田市の三里塚交差点で極左グループと警視庁[[機動隊]]が衝突した事件が発生した(「[[10.20成田現地闘争]]」)。これらの事件により正常な運営、あるいは2期工事の着工もおぼつかなかったが、[[1991年]]11月から[[隅谷三喜男]][[東京大学]]名誉教授のほか4名の学識経験者(隅谷調査団)主宰のもと成田空港問題シンポジウムが15回にわたって開催され、引き続き[[1993年]]9月から12回にわたって開催された「成田空港問題円卓会議」で今後の成田空港の整備を民主的手続きで進めていくことが確認された。
これらの事件により正常な運営、あるいは2期工事の着工もおぼつかなかったが、[[1991年]]11月から[[隅谷三喜男]][[東京大学]]名誉教授のほか4名の学識経験者(隅谷調査団)主宰のもと成田空港問題シンポジウムが15回にわたって開催され、引き続き[[1993年]]9月から12回にわたって開催された「成田空港問題円卓会議」で今後の成田空港の整備を民主的手続きで進めていくことが確認された。
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円卓会議の結論を受け、最終的には[[1995年]]に当時の[[村山富市]][[内閣総理大臣|首相]]が謝罪、これが地元の受け入れるところとなり、その後2期工事への用地買収に応じる地主が出てきた。懸案の2期工事のうち平行滑走路については、[[1996年]]には未買収地を避ける形で暫定滑走路を建設する案が計画され、[[2002年]]に供用開始した。[[隅谷三喜男]]団長を始めとする中立委員の努力や政府の謝罪などもあって反対派住民の態度もしだいに軟化、極左勢力は孤立し事態は一応の収束を見るに至っている。
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円卓会議の結論を受け、最終的には[[1995年]]に当時の[[内閣総理大臣]][[村山富市]]が謝罪、これを地元が受け入れ、その後2期工事への用地買収に応じる地主が出てきた。懸案の2期工事のうち平行滑走路については、[[1996年]]には未買収地を避ける形で暫定滑走路を建設する案が計画され、[[2002年]]に暫定供用開始した。隅谷三喜男団長を始めとする中立委員の努力や政府の謝罪などもあって反対派住民の態度もしだいに軟化した。その結果、反対運動に乗じて単に違法かつ過激な反政府活動を行っていただけであった反対派は逆に完全孤立化し、事態は収束に至っている。
  
なお、この事件を題材とした作品に『ぼくの村の話』([[尾瀬あきら]] 著、[[週刊モーニング|講談社モーニングKC]])がある。また、[[ドイツ]][[ミュンヘン国際空港]]はこのような紛争を避けるため、徹底して成田空港の事例を研究し、反対派を十分に説得した上で建設されている。日本でも、成田での経験を元に大規模空港は騒音問題等が発生しにくい海上に造られるようになった。(参考:[http://www.naa.jp/jp/csr/kyosei_taiko_1.html 成田国際空港株式会社 - 環境対策・地域共生 - 共生の経緯 - 地域と共生する空港づくり大綱]
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[[ドイツ]][[ミュンヘン国際空港]]はこのような紛争を避けるため、徹底して成田空港の事例を研究し、反対派を十分に説得した上で建設されている。日本でも、成田での経験をもとに、後に建設された[[関西国際空港]][[中部国際空港]]などの大規模空港は、騒音問題などが発生しにくい郊外の海上に造られるようになった<ref>[http://www.naa.jp/jp/csr/kyosei_taiko_1.html 成田国際空港株式会社 - 環境対策・地域共生 - 共生の経緯 - 地域と共生する空港づくり大綱]</ref>。
  
===年表===
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=== 年表 ===
*[[1962年]]([[昭和]]37年)[[11月16日]]:新空港建設の方針を閣議決定。
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==== 空港開設まで ====
*[[1963年]](昭和38年)[[6月10日]]:運輸省航空局が検討資料「新東京国際空港」を発行。4000m滑走路2本、3600m滑走路1本、2500m滑走路2本の巨大空港案が計画される。立地箇所については特定はされていない。
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* [[1962年]]([[昭和]]37年)[[11月16日]]:新空港建設の方針を閣議決定。
**[[8月27日]]:富里案及び[[霞ヶ浦]]案を運輸相が提示。富里・八街反対同盟が結成される。
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* [[1963年]](昭和38年)
*[[1965年]](昭和40年)[[11月19日]]:閣僚会議懇談会が開かれ、富里案に内定する。
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** [[6月10日]]:運輸省航空局が検討資料「新東京国際空港」を発行。4000 m滑走路2本、3600 m滑走路1本、2500 m滑走路2本の巨大空港案が計画される。立地箇所については特定はされていない。
*[[1966年]](昭和41年)[[3月15日]]:富里村(現・[[富里市]])・八街町(現・[[八街市]])・山武町(現・[[山武市]])・[[酒々井町]]の5町村長が「富里空港返上声明書」を提出決定する。
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** [[8月27日]]:富里案および[[霞ヶ浦]]案を運輸相が提示。富里・八街反対同盟が結成される。
**[[6月22日]]:[[佐藤栄作]]首相(当時)が[[友納武人]]千葉県知事(当時)に成田市[[三里塚]]案を提示する。
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* [[1965年]](昭和40年)[[11月19日]]:閣僚会議懇談会が開かれ、富里案に内定する。
**[[7月4日]]:佐藤栄作内閣が、新東京国際空港の建設予定地を千葉県成田市三里塚地区の[[宮内庁下総御料牧場]]付近に決定。
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* [[1966年]](昭和41年)
**[[7月30日]]:新東京国際空港公団 (NAA) 設立。
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** [[3月15日]]:富里村(現・[[富里市]])・八街町(現・[[八街市]])・山武町(現・[[山武市]])・[[酒々井町]]の5町村長が「富里空港返上声明書」を提出決定する。
*[[1968年]](昭和43年)[[2月26日]]:三里塚・芝山連合空港反対同盟と機動隊が衝突。
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** [[6月22日]]:[[佐藤栄作]]首相(当時)が[[友納武人]]千葉県知事(当時)に成田市[[三里塚]]案を提示する。
*[[1971年]](昭和46年)[[2月22日]]:建設予定地で第1次行政代執行。反対同盟と機動隊が衝突。
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** [[7月4日]]:佐藤栄作内閣が、新東京国際空港の建設予定地を千葉県成田市三里塚地区の[[宮内庁下総御料牧場]]付近に決定。
**[[9月16日]][[東峰十字路事件]]。建設予定地で第2次強制代執行。反対派の鉄塔が倒される。千葉県へ応援派遣されていた神奈川県警察特別機動隊員30名が東峰十字路付近で青年行動隊や過激派数百人に襲撃され、そのうち3名が殉職した。
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** [[7月30日]]:新東京国際空港公団 (NAA) 設立。
*[[1977年]](昭和52年)[[5月7日]]:運輸省航空局の[[YS-11]]型機によって、航空保安施設のフライト・チェック(飛行検査)が実施される。
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* [[1967年]](昭和42年)[[8月1日]]:「[[公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律]]」が公布、施行。
**[[11月26日]]:飛行場及び航空保安施設の完成検査に合格。空港公団は新空港の供用開始日を運輸大臣に提出。
+
* [[1968年]](昭和43年)[[2月26日]]:三里塚芝山連合空港反対同盟と機動隊が衝突。
**[[11月28日]]:運輸大臣が開港日を昭和53年3月30日と告示。
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* [[1971年]](昭和46年)
**[[12月3日]]:[[ICAO]](国際民間航空機関)及び関係50ヵ国に対し新空港開港に関わるノータム(航空情報)を発出し、新空港開港を宣言する。
+
** [[2月22日]]:建設予定地で第1次行政代執行。反対同盟と機動隊が衝突。
*[[1978年]](昭和53年)[[3月26日]]:開港4日前の成田空港に[[過激派]][[ゲリラ]]が突入し、[[管制塔]]の機器を破壊。前25日には機動隊の撃ったガス弾の直撃を受け、救護所を警護していた学生1名が死亡している。
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** [[9月16日]]:[[東峰十字路事件]]。建設予定地で第2次強制代執行。反対派の鉄塔が倒される。千葉県へ応援派遣されていた神奈川県警察特別機動隊員30名が東峰十字路付近で過激派数百人に襲撃され、そのうち3名が殉職した。
**[[3月28日]]:新東京国際空港関係閣僚会議において、新空港開港延期を正式に決定。運輸省も新空港開港延期に関わるノータムを全世界の航空関係機関に発出する。
+
* [[1977年]](昭和52年)
**[[4月4日]]:新東京国際空港関係閣僚会議において、新たな開港日を5月20日に決定。運輸省は新たにノータムを全世界に発出する。
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** [[5月6日]]:4,000m滑走路の南側延長上に反対派によって建設された、高さ約30mおよび、約60mの鉄塔2基が航空法第49条違反の物件であるとして、空港公団は千葉地方裁判所に妨害物除去仮処分命令申請書を提出。千葉地裁の仮処分決定を受け、2基の鉄塔が除去される。
**[[5月20日]]:開港。
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** [[5月7日]]:運輸省航空局の[[YS-11]]型機によって、航空保安施設のフライト・チェック(飛行検査)が実施される。
**[[5月21日]]:航空機運航開始。京成電鉄空港線([[京成成田駅]]~成田空港駅(現:[[東成田駅]]))が開業。[[京成上野駅]]からの特急スカイライナーが運行開始。
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** [[8月22日]]:進入表面等の制限表面の上に出る立木の伐採が完了。
**[[7月]]:新東京国際空港警備を目的として[[千葉県警察]]に[[千葉県警察成田国際空港警備隊|新東京国際空港警備隊]]が創設される。
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** [[11月11日]]:銚子市上空の飛行に関する合意を同市から得る。
*[[1981年]](昭和56年)[[3月16日]]:鹿島港から土屋燃料中継基地に向かっていた燃料輸送列車が、千葉県[[神崎町]]内で過激派に襲撃、放火される。幸いジェット燃料には着火しなかった。
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** [[11月26日]]:飛行場および航空保安施設の完成検査に合格。空港公団は新空港の供用開始日を運輸大臣に提出。
**[[5月11日]]:[[茨城県]]鹿島町(現・[[鹿嶋市]])内で[[鹿島線]]の橋桁が溶接機で切り取られているのが見つかる。
+
** [[11月28日]]:運輸大臣が開港日を昭和53年3月30日と告示。
*[[1983年]](昭和58年)[[8月8日]]:航空燃料B系パイプライン供用開始(航空燃料暫定輸送終了)。
+
** [[12月3日]]:ICAO([[国際民間航空機関]])および関係50ヵ国に対し新空港開港に関わる[[ノータム]](航空情報)を発出し、新空港開港を宣言する。
*[[1984年]](昭和59年)[[6月23日]]:開港以来の国際旅客5000万人達成。
+
**[[8月1日]]:航空燃料A系パイプライン供用開始。(1日あたり2万2000 kl、年間最大800万 kl)
+
*[[1985年]](昭和60年)[[6月23日]]:第1ターミナル2階の荷捌き場で航空貨物が爆発、死傷者が出る。([[成田空港手荷物爆発事件]])
+
**[[10月20日]]:[[10.20成田現地闘争]]。千葉県成田市の三里塚交差点で極左グループと警視庁機動隊が衝突。241人を公務執行妨害等で現行犯逮捕した。成田空港反対運動終期の大規模な反対派と警察部隊の衝突であった。
+
*[[1986年]](昭和61年)[[11月26日]]:第2期工事に着工。
+
*[[1988年]](昭和63年)[[3月19日]]:開港以来の国際旅客1億人達成。
+
**[[9月21日]]:成田空港の土地問題を担当する[[千葉県収用委員会]]会長が千葉市内の帰宅中に武装した数人の男に襲撃され、瀕死の重傷を負う。事件後[[中核派]]が犯行を自認する。
+
**[[10月24日]]:千葉県収用委員会会長以下全委員が辞表を提出。委員会の機能は事実上停止に陥る。以後、機能停止状態が続き、2004年(平成16年)12月8日、16年振りに機能回復されたが、成田空港については、土地収用法を適用しない事となった。
+
*[[1989年]](平成元年)[[2月28日]]:第1旅客ターミナルビル南ウイング附属棟完成 。
+
*[[1990年]](平成2年)[[9月28日]]:開港以来の国際旅客1億5000万人達成。
+
**[[11月6日]]:開港以来の発着回数が100万回達成。
+
*[[1991年]](平成3年)[[1月18日]]:開港以来の航空貨物取扱量1000万トン達成。
+
**[[3月19日]]:成田線[[成田駅]]~成田空港駅、京成本線京成成田駅~[[成田空港駅]]が開業。
+
**[[8月1日]]:二期区域エプロン一部供用開始。
+
**[[11月21日]]:第1回成田空港問題シンポジウム開催(以後15回開催)。
+
*[[1992年]](平成4年)[[2月20日]]:情報通信センター、北オペレーションセンター供用開始。
+
**[[12月3日]]:第2旅客ターミナルビル地下駅「[[空港第2ビル駅]]」供用開始。
+
**[[12月6日]]:第2旅客ターミナルビル供用開始、第1旅客ターミナルビル北ウイング、第1及び第2サテライト閉鎖。
+
*[[1993年]](平成5年)[[2月2日]]:新管制塔供用開始(全高92.3 m)。
+
**[[2月5日]]:開港以来の国際旅客2億人達成。
+
**[[5月24日]]:第15回成田空港問題シンポジウム開催(終了)。
+
**[[9月20日]]:第1回成田空港問題円卓会議開催(以後12回開催)。
+
*[[1994年]](平成6年)[[9月15日]]:A滑走路16(北側)進入方式フルカテゴリーⅡ運用開始。
+
**[[10月11日]]:成田空港問題解決の為の第12回成田空港問題円卓会議で、国と反対派が学識経験者による調停案を受入れ(円卓会議終了)。
+
*[[1995年]](平成7年)[[4月8日]]:開港以来の国際旅客2億5000万人達成、第2サテライト供用開始、第1旅客ターミナル改修開始。
+
*[[1996年]](平成8年)[[3月28日]]:ILSカテゴリーⅢa運用開始、及びストップ・バーシステム供用開始。
+
**[[7月1日]]:新東京国際空港公団 (NAA) 本社が成田空港内に移転。
+
*[[1997年]](平成9年)[[4月3日]]:開港以来の国際旅客3億人達成。
+
**[[10月13日]]:開港以来の航空貨物取扱量2000万トン達成。
+
*[[1998年]](平成10年)[[1月22日]]:芝山鉄道線建設工事起工。
+
**[[2月1日]]:第1旅客ターミナルビル第1サテライトの供用開始。
+
**[[4月25日]]:1日の発着枠を360回から370回へと改定。
+
**[[5月27日]]:「エコ・エアポート基本構想」を発表。
+
**[[7月15日]]:「地域と共生する空港づくり大綱」発表。
+
**[[11月10日]]:NAAとニューヨーク・ニュージャージーポートオーソリティの間で姉妹空港の締結を調印。
+
**[[11月18日]]:成田空港-羽田空港間直通列車運転開始。
+
**[[12月23日]]:開港以来の航空機発着回数200万回達成。
+
*[[1999年]](平成11年)[[3月16日]]:第1旅客ターミナルビル北ウイング・中央ビル新館供用開始(南ウイング閉鎖)。
+
**[[4月27日]]:新消音施設(ノイズリダクションハンガー)竣工。
+
**[[5月10日]]:平行滑走路2000年度完成目標断念を発表。
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**[[9月3日]]:平行滑走路等の整備に関する工事実施計画の変更認可申請。
+
**[[9月12日]]:[[太陽光発電]]システム運用開始。
+
**[[12月3日]]:平行滑走路工事着工。
+
*[[2000年]](平成12年)[[4月1日]]:[[コージェネレーションシステム]]導入・運用開始。
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**[[7月7日]]:第1ターミナルビル第2サテライト供用開始。
+
*[[2001年]](平成13年)[[10月31日]]:暫定平行滑走路の完成。
+
*[[2002年]](平成14年)[[2月21日]]:暫定平行滑走路(B滑走路)の供用開始日に関するノータム(航空情報)を発出する。
+
**[[4月18日]]:2本目の滑走路・暫定平行滑走路の供用開始。
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**[[5月13日]]:回転翼航空機([[ヘリコプター]])の受け入れ条件を一部緩和。
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**[[9月25日]]:第2旅客ターミナルビルスイングゲートの供用開始。
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**[[5月27日]]:第2旅客ターミナルビル出発ロビー北側増築部(Wカウンター・Yカウンター)の供用開始。
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**[[10月16日]]:空港南口ゲートの供用開始。
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**[[10月27日]]:[[芝山鉄道]]の供用開始。
+
**[[12月16日]]:第1旅客ターミナル第3サテライトの供用開始。
+
*[[2003年]](平成15年)[[1月20日]]:公団、新東京国際空港の改称「成田国際空港」及び新会社「成田国際空港株式会社」の名称について扇国土交通大臣へ要望書を提出。
+
**[[4月17日]]:第2旅客ターミナルビル北側及び地上通路沿いのスポットの供用開始。
+
**[[5月29日]]:開港以来の航空貨物取扱量3000万トン達成。
+
**[[11月17日]]:航空燃料輸送量1億 kl達成。
+
*[[2004年]](平成16年)[[4月1日]]:新東京国際空港公団が民営化され成田国際空港株式会社に改組。新東京国際空港から成田国際空港に改称、第2給油センター供用開始。
+
**[[10月19日]]:第1ターミナルの第1サテライトと第2サテライトを結ぶ連絡通路が開通。
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**[[11月25日]]:第1旅客ターミナルビルの第4サテライトが開業。
+
*[[2005年]](平成17年)[[6月8日]]:開港以来の離発着数が300万回達成。
+
**[[7月15日]]:暫定平行滑走路を本来の計画とは逆の北側延伸で、国交相と成田国際航空会社・社長が同意。
+
**[[11月]]:元過激派16人が国などから1978年の管制塔襲撃事件の損害賠償として約1億300万円の支払いを求められ、2005年になって給料を差し押さえられたが、元同志らのカンパでこれを支払う。
+
**[[11月8日]]:第2ゲートの検問を突破した男を[[千葉県警察]]の警察官が追跡中、同県佐倉市直弥の路上で男にナイフで刺され、1人([[成田国際空港警察署]])は右脇腹を刺され死亡、もう1人([[佐倉警察署]])は左腕に軽傷を負う。男は他の警察官に殺人未遂などで[[現行犯逮捕]]された。
+
**[[11月18日]]:旧[[新東京国際空港公団]]発注の成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製[[談合]]の疑いが浮上、関わった電機企業各社と成田国際空港会社が東京地検の捜索を受ける。
+
*[[2006年]](平成18年)[[1月15日]]:空港反対同盟熱田派の熱田一元代表が、空港敷地内にある自宅敷地と、所有権を持つ「横堀墓地」を売却することを表明。熱田元代表は、「若者が世界へ飛び立ち、帰ってくることによって日本の将来に役立つと考えた」とコメントし、反対運動から完全に身を引く。「横堀墓地」には死去した支援者の墓や櫓があり、成田空港反対運動の象徴となっていた。
+
**[[4月13日]]:ILSカテゴリーⅢb運用開始。 
+
**[[6月2日]]:航空会社再配置、第1旅客ターミナル南ウイング(第5サテライト)・第4-第5サテライト連絡地下通路が供用開始。
+
**[[7月10日]]:成田国際空港会社は平行滑走路の北伸2500 m化に伴う飛行場変更申請を国に対して行った[http://www.naa.jp/jp/airport/seibi_sinsei.html]。
+
**[[11月19日]]:[[エアバスA380]]が初めて成田国際空港に着陸した。
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==空港への交通==
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==== 成田空港の開港 ====
 +
* [[1978年]](昭和53年)
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** [[3月24日]]:財団法人[[空港保安事業センター]]が開設。
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** [[3月26日]]:開港4日前の成田空港に[[過激派]][[ゲリラ]]がマンホールを介して乱入し、空港管理棟16階の[[管制塔|管制室]]の機器類を破壊([[成田空港管制塔占拠事件]])。
 +
** [[3月28日]]:新東京国際空港関係閣僚会議において、新空港開港延期を正式に決定。運輸省も新空港開港延期に関わるノータムを全世界の航空関係機関に発出する。
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** [[4月4日]]:新東京国際空港関係閣僚会議において、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を決定。新たな開港日を5月20日に決定。運輸省は新たにノータムを全世界に発出する。
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** [[5月5日]]:車両基地に留置中の京成電鉄の特急「スカイライナー」に過激派が放火、1両が全焼([[京成スカイライナー放火事件]])。
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** [[5月20日]]:開港。
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** [[5月21日]]:開港後の初便である[[日本航空]]の[[ロサンゼルス国際空港]]発の[[ダグラス・エアクラフト|ダグラス]][[DC-8]]-62F貨物機が、第1便として着陸。京成電鉄空港線([[京成成田駅]] - 成田空港駅、現:東成田駅)が開業。[[京成上野駅]]からの特急「スカイライナー」が運行開始。
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** [[5月27日]]:[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]によって、国鉄成田線、[[佐原駅|佐原]] - [[大戸駅|大戸]]間のCTC([[列車集中制御装置]])の回線が切断され、航空燃料輸送列車が立ち往生する。
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** 7月:新東京国際空港警備を目的として[[千葉県警察]]に[[千葉県警察成田国際空港警備隊|新東京国際空港警備隊]]が創設される。
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** [[8月2日]]:過激派がリムジンバスのターミナルである東京都中央区の[[東京シティエアターミナル]]に火炎車を突入。
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** [[9月4日]]:過激派が成田市の京成電鉄ガード下にてトラックを炎上させ鉄道輸送を妨害。
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** [[9月7日]]:千葉県八千代市など数か所で電話同軸ケーブルが切断され、[[茨城県]][[北相馬郡]]守谷町(現・[[守谷市]])守谷VOR/DMEおよび同県[[稲敷郡]][[阿見町]]阿見VOR/DMEの機能が麻痺する。
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** [[9月16日]]:過激派が成田市荒海の[[アウターマーカー]]を火炎瓶などで破壊。
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* [[1979年]](昭和54年)
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** [[8月30日]]:[[千葉市]]高浜(現・[[美浜区]]高浜)新空港用燃料パイプライン工事現場において、中核派による時限発火装置によって火災が発生。抗打機4台が全焼する。
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** [[9月7日]]:過激派が空港第9ゲートより侵入。車両を火炎瓶等によって炎上させ、滑走路燈などを破壊する。
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** [[11月23日]]:[[大阪国際空港]]発[[東京国際空港]]行きの日本航空112便ダグラス[[DC-10]]が[[ハイジャック]]され、犯人は操縦室に押し入り、機長などを脅迫して日本航空112便を成田空港に強行着陸させる。犯人は操縦室に突入した乗客らによって逮捕。
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==== 1980年代 ====
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* [[1980年]](昭和55年)[[10月18日]]:過激派が京成電鉄高砂検車区、京成上野駅、京成電鉄宗吾検車区に停車中のスカイライナーに時限発火装置を仕掛け、一部炎上させる。
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* [[1981年]](昭和56年)
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** [[3月16日]]:鹿島港から土屋燃料中継基地に向かっていた燃料輸送列車が、千葉県[[神崎町]]内で過激派に襲撃、放火される。幸いジェット燃料には着火しなかった。
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** [[5月11日]]:[[茨城県]]鹿島町(現・[[鹿嶋市]])内で[[鹿島線]]の橋桁(第2宮中架道橋)が溶接機で切り取られているのが見つかる。
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* [[1982年]](昭和57年)[[3月13日]]:中核派によって、国鉄鹿島線、国鉄成田線、国鉄総武本線などの信号ケーブルが切断される。また、国鉄西船橋変電所が時限発火装置によって爆破され、空港用航空燃料輸送列車の運行停止を招く。そのため、県内の列車運行に大きな乱れが生じた。
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* [[1983年]](昭和58年)
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** [[6月]]:過激派が空港建設に携わる企業の作業員宿舎を放火。民間人の作業員2名が焼死。
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** [[8月8日]]:航空燃料B系パイプライン供用開始(航空燃料暫定輸送終了)。
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* [[1984年]](昭和59年)
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** [[6月23日]]:開港以来の国際旅客5,000万人達成。
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** [[8月1日]]:航空燃料A系パイプライン供用開始。(1日あたり2万2,000 kl、年間最大800万 kl)
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** [[11月14日]]:燃料パイプライン1本が、過激派の襲撃によって停止する。
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* [[1985年]](昭和60年)
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** [[6月23日]]:第1ターミナル2階の荷捌き場で[[カナダ]]の[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]から到着した[[カナダ太平洋航空]]機に積まれていた航空貨物が爆発、2名が死亡し4名の負傷者が出る([[成田空港手荷物爆発事件]])。
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** [[10月20日]]:[[10.20成田現地闘争]]。千葉県成田市の三里塚交差点で極左グループと警視庁機動隊が衝突。241人を公務執行妨害等で現行犯逮捕した。成田空港反対運動終期の大規模な反対派と警察部隊の衝突であった。
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* [[1986年]](昭和61年)[[11月26日]]:第2期工事に着工。
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* [[1988年]](昭和63年)
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** [[3月19日]]:開港以来の国際旅客1億人達成。
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** [[9月21日]]:成田空港の土地問題を担当する[[千葉県収用委員会]]会長が千葉市内の帰宅中に武装した数人の男に襲撃され、瀕死の重傷を負う。事件後中核派が犯行を自認する([[千葉県収用委員会会長襲撃事件]])。
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** [[10月24日]]:千葉県収用委員会会長以下全委員が辞表を提出。千葉県収用委員会の機能は事実上停止に陥る。以後、機能停止状態が続いていたが、2004年(平成16年)12月8日、16年ぶりに機能回復した。ただし成田空港に対しては、土地収用法の適用は現段階では対象外としている。
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* [[1989年]]([[平成]]元年)[[2月28日]]:第1旅客ターミナルビル南ウイング附属棟完成。
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==== 1990年代 ====
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* [[1990年]]([[平成]]2年)
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** [[9月28日]]:開港以来の国際旅客1億5,000万人達成。
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** [[11月6日]]:開港以来の発着回数が100万回達成。
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* [[1991年]](平成3年)
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** [[1月18日]]:開港以来の航空貨物取扱量1000万トン達成。
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** [[3月19日]]:成田線成田駅 - 成田空港駅間、京成本線京成成田駅 - 成田空港駅間が開業。
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** [[8月1日]]:2期区域エプロン一部供用開始。
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** [[11月21日]]:第1回成田空港問題シンポジウム開催(以後15回開催)。
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* [[1992年]](平成4年)
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** [[2月20日]]:情報通信センター、北オペレーションセンター供用開始。
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** [[12月3日]]:第2旅客ターミナルビル地下駅「空港第2ビル駅」供用開始。
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** [[12月6日]]:第2旅客ターミナルビル供用開始、第1旅客ターミナルビル北ウイング、第1および第2サテライト閉鎖。
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* [[1993年]](平成5年)
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** [[2月2日]]:新管制塔供用開始(全高92.3m)。
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** [[2月5日]]:開港以来の国際旅客2億人達成。
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** [[5月24日]]:第15回成田空港問題シンポジウム開催(終了)。
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** [[9月20日]]:第1回成田空港問題円卓会議開催(以後12回開催)。
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* [[1994年]](平成6年)
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** [[9月15日]]:A滑走路16(北側)進入方式フルカテゴリーII運用開始。
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** [[10月11日]]:成田空港問題解決のための第12回成田空港問題円卓会議で、国と反対派が学識経験者による調停案を受入れ(円卓会議終了)。
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* [[1995年]](平成7年)[[4月8日]]:開港以来の国際旅客2億5,000万人達成、第2サテライト供用開始、第1旅客ターミナル改修開始。
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* [[1996年]](平成8年)
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** [[3月28日]]:ILSカテゴリーIIIa運用開始、およびストップ・バーシステム供用開始。
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** [[7月1日]]:新東京国際空港公団 (NAA) 本社が成田空港内に移転。
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* [[1997年]](平成9年)
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** [[4月3日]]:開港以来の国際旅客3億人達成。
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** [[10月13日]]:開港以来の航空貨物取扱量2,000万トン達成。
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* [[1998年]](平成10年)
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** [[1月22日]]:芝山鉄道線建設工事起工。
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** [[2月1日]]:第1旅客ターミナルビル第1サテライトの供用開始。
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** [[2月2日]]:空港へ迫撃弾2発と金属弾1発が打ち込まれ、貨物地区の作業員1名が迫撃弾の破片に被弾。救急車で近くの病院に搬送される。迫撃弾のうち1発は近くで破裂、金属弾1発は不発だった。
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** [[4月25日]]:1日の発着枠を360回から370回へと改定。
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** [[5月27日]]:「エコ・エアポート基本構想」を発表。
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** [[7月15日]]:「地域と共生する空港づくり大綱」発表。
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** [[11月10日]]:NAAと[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の「[[ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社]]」の間で初の姉妹空港の締結を調印。
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** [[11月18日]]:成田空港 - 羽田空港間直通列車運転開始。
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** [[12月23日]]:開港以来の航空機発着回数200万回達成。
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* [[1999年]](平成11年)
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** [[3月16日]]:第1旅客ターミナルビル北ウイング・中央ビル新館供用開始(南ウイング閉鎖)。
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** [[4月27日]]:新消音施設(ノイズリダクションハンガー)竣工。
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** [[5月10日]]:平行滑走路2000年度完成目標断念を発表。
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** [[9月3日]]:平行滑走路等の整備に関する工事実施計画の変更認可申請。
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** [[9月12日]]:[[太陽光発電]]システム運用開始。
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** [[12月3日]]:平行滑走路工事着工。
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** [[12月26日]]:17時23分頃、京成上野発の特急電車が成田空港駅到着直後に2両目座席下から発火。西馬込発東成田行急行電車においても東成田駅到着前に座席下から出火。17時30分頃にもJR成田線久里浜発成田空港行快速電車がJR成田駅を発車した直後に連結部から発火。3件の事件全ての焼け跡から時限発火装置が見つかる。JRでは運休や延遅などにより約1万人に影響が出た。
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==== 2000年代 ====
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* [[2000年]](平成12年)
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** [[4月1日]]:[[コージェネレーションシステム]]導入・運用開始。
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** [[7月7日]]:第1ターミナルビル第2サテライト供用開始。
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* [[2001年]](平成13年)[[10月31日]]:暫定平行滑走路の完成。
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* [[2002年]](平成14年)
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** [[2月21日]]:暫定平行滑走路(B滑走路)の供用開始日に関するノータム(航空情報)を発出する。
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** [[4月12日]]:成田空港駅に停車中の京成電鉄の特急列車の車内に時限発火装置が仕掛けられ、連結部分より発火。
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** [[4月18日]]:2本目の滑走路・暫定平行滑走路の供用開始。これにより台湾の[[チャイナエアライン]](中華航空)と[[エバー航空]](長榮航空)が羽田から成田へ移管、[[中国国際航空]]など中国のエアラインと翼を並べることとなる。
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** [[5月13日]]:回転翼航空機([[ヘリコプター]])の受け入れ条件を一部緩和。
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** 5月27日:第2旅客ターミナルビル出発ロビー北側増築部(Wカウンター・Yカウンター)の供用開始。
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** [[9月25日]]:第2旅客ターミナルビルスイングゲートの供用開始。
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** [[10月16日]]:空港南口ゲートの供用開始。
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** [[10月27日]]:[[芝山鉄道]]の供用開始。
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** [[12月16日]]:第1旅客ターミナル第3サテライトの供用開始。
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* [[2003年]](平成15年)
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** [[1月20日]]:公団、新東京国際空港の改称「成田国際空港」および新会社「成田国際空港株式会社」の名称について扇国土交通大臣へ要望書を提出。
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** [[1月27日]]:[[全日本空輸]]908便([[ボーイング767]]-300)が、B滑走路を約70mオーバーランし草地に突っ込み、誘導路灯や滑走路末端補助灯を倒し停止した。このため開港後初めて事故により滑走路が閉鎖された。
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** [[4月17日]]:第2旅客ターミナルビル北側および地上通路沿いのスポットの供用開始。
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** [[5月29日]]:開港以来の航空貨物取扱量3,000万トン達成。
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** [[11月17日]]:航空燃料輸送量1億kl達成。
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* [[2004年]](平成16年)
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** 4月1日:新東京国際空港公団が民営化され「成田国際空港株式会社」に改組し、同時に空港の正式名称も新東京国際空港から「成田国際空港」に改称、第2給油センター供用開始。
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** [[10月19日]]:第1ターミナルの第1サテライトと第2サテライトを結ぶ連絡通路が開通。
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** [[11月25日]]:第1旅客ターミナルビルの第4サテライトが開業。
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* [[2005年]](平成17年)
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** [[6月8日]]:開港以来の離着陸回数が300万回達成。
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** [[7月15日]]:暫定平行滑走路を本来の計画とは逆の北側延伸で、国交相と成田国際航空会社・社長が同意。
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** [[11月]]:元過激派16人が国などから1978年の管制塔襲撃事件の損害賠償として約1億300万円の支払いを求められ、2005年になって給料を差し押さえられた。
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** [[11月8日]]:第2ゲートの検問を突破した男を[[千葉県警察]]の警察官が追跡中、同県佐倉市直弥の路上で男にナイフで刺され、1人([[成田国際空港警察署]])は右脇腹を刺され死亡、もう1人([[佐倉警察署]])は左腕に軽傷を負う。男は他の警察官に殺人未遂などで[[現行犯逮捕]]。
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** [[11月18日]]:旧[[新東京国際空港公団]]発注の成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製[[談合]]の疑いが浮上、関わった電機企業各社と成田国際空港会社が東京地検の捜索を受ける。
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* [[2006年]](平成18年)
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** [[1月15日]]:空港反対同盟熱田派元代表・熱田一(派閥に本人の姓が冠されている)が、空港敷地内にある自宅敷地と、所有権を持つ「横堀墓地」を売却することを表明。「若者が世界へ飛び立ち、帰ってくることによって日本の将来に役立つと考えた」とコメントし、反対運動から完全に身を引く。
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** [[4月13日]]:ILSカテゴリーIIIb運用開始。
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** [[6月2日]]:航空会社再配置、第1旅客ターミナル南ウイング(第5サテライト)・第4 - 第5サテライト連絡地下通路が供用開始。
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** [[7月10日]]:成田国際空港会社、国に対し平行滑走路の北伸2500 m化に伴う飛行場変更申請<ref>[http://web.archive.org/web/20060722104414/http://www.naa.jp/jp/airport/seibi_sinsei.html 平行滑走路の整備に関する飛行場変更許可申請](2006年7月22日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
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* [[2007年]](平成19年)
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** 11月18日:開港以来の航空貨物取扱量4,000万トン達成。
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** 12月26日:第1旅客ターミナル中央エリアおよび北ウイングの供用開始。
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* [[2008年]](平成20年)
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** [[3月6日]]:成田市南三里塚の雑木林で迫撃砲2門が発見される。翌7日、成田国際空港会社空港技術センター(芝山町岩山)で迫撃弾が発見される。革命軍を名乗る組織から「1日午前6時45分に滑走路に撃ち込んだ」との犯行声明文が報道機関に送られる。
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** 3月16日:15日午後5時すぎから4時間近くにわたり、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]から発射された電波により成田空港の管制システムで混信が発生する。業務に支障は起きなかったが、[[総務省]]は[[国際電気通信連合]] (ITU) の無線通信規則に定める識別信号の送出を行っていないと認められたため、国際電気通信連合に通報した。
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** 4月1日:[[緊急地震速報]]を運用導入。
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** 5月20日:開港30周年を迎え記念式典が催され、これを記念して日本航空のボーイング747-400型機に特別塗装が施された。
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** 9月12日:旧NAA本社ビル跡地に第5駐車場 (P5) がオープン。
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** 9月25日:当時[[国土交通大臣]]であった[[中山成彬]]の成田空港建設の反対闘争に関する発言が問題となる。この際の他の発言とともに問題視されたが、中山大臣は反対闘争に対する発言の責任を取る形でその後辞任した。
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** [[10月4日]]:第2ターミナル サテライト到着コンコース和的整備が[[グッドデザイン賞]]を受賞する。
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** 10月16日:第7貨物ビルおよび貨物地区トラック待機場の供用開始。
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* [[2009年]](平成21年)
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** [[3月23日]]:[[フェデックス]]の[[マクドネルダグラス]][[MD-11]]Fが着陸失敗し大破炎上、乗員2名死亡。開港以来初の全損及び死者の出た事故である。
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** 4月:前項の事故を受け、B滑走路2500m供用開始時期を「2010年3月から2009年10月に前倒しする」方向で成田国際空港会社と国土交通省が協議に入る<ref>[http://www.47news.jp/CN/200904/CN2009040901000772.html 秋にも延長滑走路の運用開始 炎上事故受け、半年前倒し](2009年4月10日 47NEWS)</ref>。
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** 5月20日:成田国際空港会社と国土交通省の協議の結果、B滑走路2500 m供用開始日を「2009年10月22日」に正式決定。成田市の小泉一成市長は、同日、空港会社によるB滑走路供用開始日が決定したことに伴い「航空機の発着時の安全性がより確保されるとのことで一定の理解をする」としたうえで、「空港会社に対して、騒音の影響を受ける地域への丁寧な説明を要請している」と述べる。
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** [[7月30日]]:B滑走路東側誘導路、供用開始<ref>[http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090730k0000e040020000c.html 成田空港:東側誘導路の供用スタート] 毎日新聞{{リンク切れ|date=2011年10月}}</ref>。
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** [[9月17日]]:空港会社は、空港反対派らが持つ「[[一坪地主|一坪運動共有地]]」と「土地」を空港会社へ売却を求める訴訟を起こす。
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** [[10月22日]]:B滑走路、2500 m化供用開始<ref>[http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009102201000077.html 成田、B滑走路の本格運用開始 大型機が発着可能に](2009年10月22日 47NEWS)</ref>。
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** [[12月15日]]:成田空港周辺の9市町長(成田空港圏自治体連絡協議会)は夜間の離着陸禁止の規制を緩和し、運航時間を延長する案を成田国際空港会社側に示す。
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==== 2010年代 ====
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* [[2010年]](平成22年)
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** [[2月25日]]:空港用地内B誘導路付近にある“反対派最後の聖域”とも言われていた団結小屋「天神峰現地闘争本部」を撤去し土地をNAAへ明け渡すようにNAAが提訴した裁判で、千葉地裁は撤去を命じる判決。反対派は控訴。
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** [[3月28日]]:A滑走路を離陸専用、B滑走路を着陸専用に使い分け開始。
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** [[7月17日]]:[[京成電鉄]]の新路線として[[京成成田空港線|成田スカイアクセス線]]が開業。[[空港第2ビル駅]] - [[日暮里駅]]間が最速36分とアクセスが改善された。
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** [[9月17日]]:利用者のさらなる利便性を図るための取り組みとして、第2ターミナルにおいて、成田国際空港株式会社とJTBグローバルマーケティング&トラベルによる成田空港プレミアムコンシェルジュサービスの共同実証実験が期間限定(同年11月16日まで)で開始する。
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* [[2011年]](平成23年)
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** [[5月20日]]:「天神峰現地闘争本部」撤去の控訴審で、[[東京高等裁判所]]([[井上繁規]]裁判長)は一審を支持し反対派の控訴を棄却する判決、反対派は上告。
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** [[6月23日]]:NAAが[[成田空港問題|成田空港闘争]]の史実や反対派のヘルメットなどを展示した[[資料館]]「[[成田空港 空と大地の歴史館]]」を[[航空科学博物館]]駐車場傍に竣工し開館。
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** [[8月6日]]:5月の高裁判決に基づく[[仮執行]]により、千葉地裁が「天神峰現地闘争本部」を強制撤去。
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* [[2012年]](平成24年)
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** [[1月25日]]:[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]は反対派の上告を棄却、反対派の敗訴が確定。
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** [[11月28日]]:4月の東京高裁判決(C滑走路用地内の地権者に対する訴訟)に基づく仮執行により、千葉地裁が「横堀団結小屋」を強制撤去<ref>[http://mainichi.jp/graph/2012/11/28/20121128k0000e040171000c/001.html 「成田空港:反対派の団結小屋 強制撤去始まる」2012年11月28日]</ref>。
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** 12月13日:A滑走路を、4000mの全面運用を開始<ref name="a-larea"/>。
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* [[2013年]](平成25年)
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** [[3月7日]]:B滑走路の西側誘導路の約720メートル延長と横堀地区エプロンの供用開始<ref name="naritapress"/><ref name="mainichi37"/><ref name="jijitsu37"/>。これによりA滑走路、B滑走路、2本の滑走路の発着数が1時間当たり58回から64回に増え、年間発着枠も25万回から27万回に拡大された<ref name="naritapress"/><ref name="mainichi37"/><ref name="jijitsu37"/>。
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** [[3月31日]]:[[オープンスカイ協定|オープンスカイ]](航空自由化)開始<ref name="mainichi20130330">[http://mainichi.jp/feature/news/20130330k0000e040171000c.html “成田空港:31日自由化 発着枠拡大、検問機械化など改革”]. [[毎日新聞]]. (2013年3月30日) 2013年3月31日閲覧。</ref>。悪天候などやむを得ない場合に限り離着陸を午前0時まで延長<ref name="nikkei20130320"/><ref name="mlit20130329" />。
 +
** [[4月1日]]:国際線の着陸料を平均5.5%値下げ<ref name="asahi20121113[http://www.asahi.com/business/update/1113/TKY201211130804.html “成田着陸料、平均5.5%値下げ アジアでの競争激化”]. 朝日新聞. (2012年11月13日) 2013年5月2日閲覧。</ref><ref name="chiba20121113">[http://www.chibanippo.co.jp/c/news/economics/125201 “「増量割引」4月導入 新規就航や路線拡充を促進 成田空港の国際線着陸料”]. 千葉日報. (2013年3月1日) 2013年5月2日閲覧。</ref>。値下げは[[2005年]]以来となる<ref name="asahi20121113"/>。
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** [[4月25日]]:[[2009年]][[9月17日]]に空港会社が空港反対派らが持つ横風用滑走路(C滑走路)予定地上の「[[一坪地主|一坪運動共有地]]」を空港会社への売却を求めおこした訴訟について最高裁は2件について地権者54人の上告を却下する決定をし、買収に応じるよう命じた一、二審判決が確定した<ref name="mainichi20130427"/><ref name="chibanippou20130427"/><ref name="tokyo20130427"/>。これにより空港会社が2009年におこした6件の訴訟は4ヶ所で空港会社の勝訴、2ヶ所で和解して終結した<ref name="chibanippou20130427"/><ref name="tokyo20130427"/>。今後、訴訟になっていない数カ所について交渉を続け、取得を目指すとしている<ref name="chibanippou20130427"/>。
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** [[5月20日]]:空港開港から35年となる。未だに建設計画自体が終了せず。
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** [[7月3日]]:[[京成バス]]が東京駅~成田空港間で格安高速バス「東京シャトル」を運行開始。
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** [[9月27日]]:第2ターミナルビルとサテライトを結ぶ新たな連絡通路の供用を開始し、[[成田空港第2ターミナルシャトルシステム|シャトルシステム]]の運行を終了<ref name="n2tnewaisle">[http://www.naa.jp/jp/press/pdf/20130913_1.pdf シャトルシステムに代わり、新たな連絡通路を供用開始!] - 成田国際空港(2013年9月13日)</ref>。
 +
* [[2014年]](平成26年)
 +
**[[10月30日]]: 第3旅客ターミナル([[格安航空会社|LCC]]専用ターミナル)が、第2ターミナルの北側に完成し、2015年(平成27年)4月8日より供用を開始すると発表<ref name="it20141103">[http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1411/03/news010.html “成田空港はなぜ新ターミナルを作るのか?”]. Business Media 誠. (2014年11月3日) 2014年12月27日閲覧。</ref>。
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 +
== 空港への交通 ==
 
成田空港への交通機関、また成田空港から東京国際空港(羽田空港)への交通機関の詳細については、[http://www.narita-airport.jp/jp/access/index.html 成田空港公式ページ:空港アクセス情報]を参照のこと。
 
成田空港への交通機関、また成田空港から東京国際空港(羽田空港)への交通機関の詳細については、[http://www.narita-airport.jp/jp/access/index.html 成田空港公式ページ:空港アクセス情報]を参照のこと。
  
===鉄道===
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=== 交通機関 ===
第1ターミナルの下に[[成田空港駅]]が、第2ターミナルの下に[[空港第2ビル駅]]があり、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[成田線]][[京成電鉄]][[京成本線|本線]]が通じている。
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*東京都心までは60km程度離れており、東京への用務客は移動に要する時間が長い。そのために当初は東京~成田間を[[成田新幹線]][[磁気浮上式鉄道|リニアモーターカー]] ([[HSST]]) で結ぶ計画もあったが、建設コストの割に速達効果が薄いなどから中止となる。
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*空港建設が難航した為、余波を受け千葉県内の[[道路]]・[[鉄道]]などの[[公共事業]]の計画は大幅に狂ってしまった。空港建設時の様々な問題から千葉県では[[収用委員会]]が機能停止してしまい、道路や鉄道建設の用地取得が進まなくなってしまったためである<ref>[http://www.jice.or.jp/room/archives/20050413.html 財団法人国土技術センターのサイトより]</ref>。
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*[[1978年]]には[[京成電鉄]]が成田空港駅(現在の[[東成田駅]])まで[[京成上野駅|上野]]から直通特急「[[スカイライナー]]」を運行開始したが、肝心の空港へは駅から[[バス (交通機関)|バス]]へ乗り継ぐ必要があり、利用客は伸びなかった。しかし現在は空港ターミナル地下の駅から発着するようになり、利便性が増している。
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*[[1991年]]には、直通の軌道系交通機関がないため「世界一不便な国際空港」と呼ばれていた状況をみた当時の運輸大臣・[[石原慎太郎]]の鶴の一声により、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)と京成電鉄の路線が、建設中止になっていた[[成田新幹線]]([[東京駅]]~[[成田空港駅]]間)の路盤の一部を活用してそれぞれ分岐・延伸し、成田空港に乗り入れることとなった([[成田空港高速鉄道]]も参照)。その後2010年に[[京成成田空港線|成田スカイアクセス線]]も開通した。当線を経由する[[スカイライナー]]は、[[日暮里駅]]から[[空港第2ビル駅]]まで最速36分で結んでいる。
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*国内線が、[[新千歳空港]]、[[仙台空港]]、[[小松空港]]、[[中部国際空港]]、[[大阪国際空港]]、[[広島空港]]、[[福岡空港]]、[[那覇空港]]の計8つの空港に就航しているが、各々便数が限られており、国内線と国際線との乗り継ぎは限られる(関西国際空港便、中部国際空港便の一部は国際線乗継専用便としての国際線扱い。国内線扱いの関西国際空港便は休止中)。このため、国際線から国内線への乗り継ぎは都心を横断した先の[[東京国際空港]]で行うことになる<!--が、距離がありすぎて当日乗り継ぎには向かない-->(航空会社の国内線時刻表では羽田発着国内線~成田発着国際線の乗り継ぎ時間は3時間以上と案内されている)。これらの背景から、地方都市からは、より国内線網が充実している[[関西国際空港]]や[[中部国際空港]]経由で海外に向かうケースが多く見受けられる<!--(たとえば、札幌から米国へ向かう旅客の約1割が、当日乗継が便利な関西国際空港経由で出国しているという説も存在する)-->。また、同様の理由から、国内地方都市との路線を多く持つソウル([[仁川国際空港]])経由(主に[[大韓航空]]や[[アシアナ航空]])で海外へ向かうケースも見られる。
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*一部海外のガイドブックに「エラーポート」と評されるほどの利便性の悪さは、航空機による移動が身近なものとなった今日、無視できないものになってきている。これは世界の主要空港との比較で大きく見劣りする点であるが、急速な航空事情の変化や、日本の国土事情などを鑑みると、容易には解決できない問題でもある。
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*近年、[[関西国際空港]]、[[神戸空港]]、[[中部国際空港]]など、主に[[西日本]]の海上大規模空港の急ピッチの建設、増設を巡る諸問題も、上記における成田空港の空陸両面の輸送上の機能不全から空港充実が急務として(それだけが原因ではないが)、建設が後押しされていった側面もある。
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<references />
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=== 鉄道 ===
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{{Main|空港連絡鉄道#成田国際空港}}
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第1ターミナルの下に成田空港駅が、第2ターミナルの下に空港第2ビル駅があり、東日本旅客鉄道(JR東日本)と[[京成電鉄]]が乗り入れている。下記の両駅は両社同じ位置にあるが、改札口は別々である。
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* JR[[成田線]](空港支線)、京成電鉄[[京成本線|本線]]・[[京成成田空港線|成田スカイアクセス]]
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** [[空港第2ビル駅]]・[[成田空港駅]]
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このほか、主に空港勤務者などが利用している[[京成東成田線]]と[[芝山鉄道線|芝山鉄道]]の[[東成田駅]]利用でもアクセス可能(現在の成田空港駅開業前は、東成田駅が「成田空港駅」を名乗っていた)。各ターミナルまで無料[http://www.narita-airport.jp/jp/access/terminal/index.html ターミナル間連絡バス]がある他、東成田駅改札の横から空港第2ビル駅を経由して第2ターミナルへ抜ける全長500mの地下通路が延びており、徒歩でも雨にぬれずに移動可能である。
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=== バス ===
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; 高速バス・[[リムジンバス]]
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'''[[東京空港交通]]'''、'''[[成田空港交通]]'''、'''[[京成バス]]'''、'''[[千葉交通]]'''、'''[[平和交通 (千葉県)|平和交通]]'''などが[[東京シティエアターミナル]]や主要ホテルなどの都内各地や千葉県内の主要駅、[[横浜シティ・エア・ターミナル]]や羽田空港などとの間を5分-60分に1本程度の頻度で運行。発着地により[[共同運行]]会社も乗り入れる。「[http://www.narita-airport.jp/jp/access/bus/index.html 行き先とのりば案内]」
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* 2012年7月3日から京成バスと成田空港交通が[[東京駅バスのりば|東京駅八重洲口]]、東雲車庫を結ぶ格安便「[[京成バスシステム#東京シャトル|東京シャトル]]」の運行を開始した。
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* 2012年8月10日から平和交通が[[銀座駅]]、東京駅を結ぶ格安便「[[平和交通 (千葉県)#THE アクセス成田|THE アクセス成田]]」の運行を開始した。(同時に開設した鎌取駅、誉田駅、土気駅、大網駅への路線は2013年4月に廃止)
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* 2012年12月3日から成田空港交通が[[有楽町駅]]、東京駅、[[西船橋駅]]からの深夜急行バスの運行を開始した(既存の深夜急行バスの延伸)。
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* 2012年12月13日から成田空港交通、[[千葉中央バス]]が誉田、鎌取地区を結ぶ高速バスの運行を開始した。(2014年3月31日限りで廃止)
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; 一般路線バス
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成田空港交通、千葉交通が運行している。
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* [[航空科学博物館]]・南部工業団地・[[栗源町|栗源]]・[[イオンモール成田]]の各方面の近距離路線バスが第2ターミナルから運行されている。
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* 芝山・松尾・蓮沼・横芝屋形海岸方面の[[空港シャトルバス (成田空港)|空港シャトルバス]]と[[多古町|多古]]方面の[[多古町循環バス|多古-成田空港間シャトルバス]]が運行されている。
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* 2012年11月23日から[[千葉交通]]が成田空港 - イオンモール成田間のシャトルバスの運行を開始した。
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=== タクシー ===
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* 定額[[運賃]][[タクシー]]
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** [[東京都]]内[http://www.kojintaxi-tokyo.or.jp/cus/fares_flat.html][http://www.taxi-chiba.jp/price.html#narita]、[[神奈川県]]内[http://www.taxi-kanagawa.or.jp/定額運賃.pdf]、[[埼玉県]]内へゾーン内均一運賃で運行[http://www.kojin-taxi-kanto.jp/n02.htm]
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** [[長野県]]全域および[[新潟県]][[中越地方|中越]]、[[下越地方|下越]]からゾーン内均一運賃で運行([http://www.chuotaxi.co.jp/ 中央タクシー])
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=== ヘリコプター ===
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* [[森ビルシティエアサービス]]「東京-成田 ヘリダイレクト」(運航は[[エクセル航空]])
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** 運航区間は[http://www.mcas.co.jp/ja/heliport/arkhills/ アークヒルズヘリポート]([[東京都]][[港区 (東京都)|港区]])- 成田空港ヘリパット。以前は、佐倉ヘリポートまでヘリコプターで移動し、空港まではハイヤーに乗り継いでいた。
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** 港区・千代田区・中央区・渋谷区、新宿区のホテル等へハイヤーによる無料送迎がある。
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** 一部の航空会社は、[[ファーストクラス]]の乗客に対して成田空港 - 東京都区内間を無償で利用できるサービスを提供していた。
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かつて[[1988年]]6月20日から[[1991年]]11月19日まで、羽田空港および[[横浜みなとみらい21]]との間で[[シティ・エアリンク]]の運航によるヘリコプター航路もあった。
  
利用する人は少ないが、[[京成東成田線]][[芝山鉄道線|芝山鉄道]][[東成田駅]](旧成田空港駅)利用でもアクセス可能。(各ターミナルまで無料[http://www.narita-airport.jp/jp/access/terminal/index.html ターミナル間連絡バス]があり、第2ターミナルまでは徒歩でも移動可能)
+
=== 自動車 ===
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[[自動車]]で空港へアクセスする場合、以下3つのルートがある。どのルートでも空港敷地進入時にはゲートにて[[運転免許証]]などの[[身分証明書]]を提示し、[[乗用車]]や[[バス (交通機関)|バス]]はトランクのチェックを、[[貨物自動車|トラック]]は荷室のチェックを受ける必要がある(貨物地区進入時へはもう1回チェックを受ける必要があり、入門証を常備しない車輌は臨時入門証の発行を受けなければならない)。
  
現在はどのルートでも都心までかなりの時間がかかる。[[成田エクスプレス]][[京成スカイライナー]]を使った場合でも、最速で51分とかなり時間がかかるが、[[京成成田新高速鉄道線]](成田空港駅~[[北総鉄道]][[印旛日本医大駅]]間)が[[2010年]]4月に開通すると、[[スカイライナー#北総線の延伸計画|スカイライナー]][[日暮里駅]]まで36分で結ばれる予定である。
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* [[東関東自動車道]]から[[新空港自動車道]]を経由し、[[新空港インターチェンジ|新空港IC]]から、第1ゲートもしくは、第2ゲートより入場。
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* [[国道295号]](通称:空港通り)から第2ゲートより入場。
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* [[国道296号]]から[[千葉県道106号八日市場佐倉線]]または[[千葉県道62号成田松尾線]]を経由し、第6(南)ゲートより入場。
  
;JR東日本
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日本国外からの要人の訪日や反対派によるデモ、空港内における事件、事故などによって一時的にゲートが封鎖される場合がある。なお、ゲートにおける検問を廃止する計画があると発表された<ref>[http://web-beta.archive.org/web/20091202082729/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091129/crm0911291927012-n1.htm MSNニュース](2009年12月2日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
*特急[[成田エクスプレス]]
+
**[[東京駅]]・[[品川駅]]・[[横浜駅]]・[[大船駅]]方面
+
**東京駅・[[渋谷駅]]・[[新宿駅]]・[[池袋駅]]・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]方面
+
**[[立川駅]]・[[八王子駅]]・[[高尾駅 (東京都)|高尾駅]]方面
+
*快速[[エアポート成田]]
+
**[[成田駅]]・[[千葉駅]]・東京駅・横浜駅・大船駅・[[逗子駅]]方面
+
  
;京成電鉄
+
=== 歴史 ===
*特急[[スカイライナー]]、一般特急、急行、普通
+
* 鉄道
**[[京成船橋駅]][[日暮里駅]][[京成上野駅]]方面
+
東京都心までは50 - 60km程度あり、東京都心部への用務客は移動に要する時間が比較的長いために、当初は東京 - 成田空港間に[[成田新幹線]]を建設し結ぶ計画で、開港時には第1ターミナル地下に鉄道駅の施設がほぼ完成していた。しかし、騒音などの被害が出ることを嫌った沿線(特に[[東京都]][[江戸川区]][[千葉県]][[東葛飾郡]]浦安町(現・[[浦安市]]))自治体や住民の反対運動が激しく中止となった。さらに空港自体の建設が難航したための余波を受け、千葉県内の[[道路]][[鉄道]]などの[[公共事業]]の計画は大幅に狂った。空港建設時の様々な問題から千葉県では[[収用委員会]]が機能停止し、道路や鉄道建設の用地取得が進まなくなってしまったためである。
*エアポート快速→[[都営地下鉄浅草線|都営浅草線]]より先は[[エアポート快特]](直通)
+
**[[浅草駅]][[新橋駅]]・品川駅・[[京急蒲田駅]][[羽田空港駅]]方面
+
  
===バス===
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1978年の開港時には、[[京成電鉄]]が旧成田空港駅(現在の[[東成田駅]])まで「スカイライナー」の運行を開始した。しかし、空港ターミナルへは空港敷地内の旧成田空港駅から[[バス (交通機関)|バス]]へ乗り継ぐ必要があり、その不便さから利用客は増えなかった。空港アクセス鉄道問題解決への動きは進展せず、都心部と空港ターミナルを直結する軌道系交通機関が存在しなかった上、もう一つの主要アクセス手段である定期バスも渋滞にはまると移動時間が読めなかった。そのため、日本国外のガイドブックで「エラーポート」と評される<ref>一例として Ian L. McQueen著『Japan: a budget travel guide』、[[講談社#系列企業(講談社グループ)|講談社インターナショナル]]、1992年、210ページには「Narita "errport" (as it has been called) is Japan's contribution to the world's collection of vast projects started on half-vast ideas.」などとある。なお、本書は[[ロンリープラネット]]より『Japan: A Travel Survival Kit』の題で販売されていたものの改訂版にあたる。現在のロンリープラネット社のガイドは別内容である。</ref>ほど、都心からの[[空港連絡鉄道#世界の主要国際空港と都心との距離とアクセス所要時間|距離の遠さと所要時間の長さ]]は、世界の主要空港との比較で見劣りした。
====高速バス・[[リムジンバス]]====
+
*[[小田原駅]][[大雄山駅]]・松田 ([[富士急湘南バス]]
+
  
上記以外は'''[[京成バス]]'''・'''[[千葉交通]]'''・'''[[成田空港交通]]'''・'''[[東京空港交通]]'''の何れかが運行。発着地により[[共同運行]]会社も乗り入れる。詳細は当該バス会社項目を参照されたい。
+
当初、成田新幹線計画が混迷したこともあって別の方法も模索され、[[1982年]]に新東京国際空港アクセス関連高速鉄道調査委員会が[[運輸省]](当時)に[[京成成田空港線#概要|A・B・Cの3案]]を答申し、[[1984年]]に運輸省はB案(北総線延伸)を採択し推進すると決定した<ref name="makoto081107">どうなる、こうなる首都圏の鉄道網--(最終回)成田新線・新交通編 - [http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0811/07/news125.html 1] / [http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0811/07/news125_2.html 2] [[ITmedia|Business Media 誠]] 2008年11月7日</ref>。
  
====一般路線バス====
+
[[1987年]]に、当時[[運輸大臣]]を務めていた[[石原慎太郎]]は、「不便な国際空港」と呼ばれていた状況を見て、建設途中で中止となった成田新幹線([[東京駅]] - 成田空港駅間)の路盤と駅などの設備の一部を活用して[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)と京成電鉄の路線をそれぞれ分岐・延伸の上、成田空港に乗り入れる案([[成田空港高速鉄道]])を指示した<ref name="makoto081107"/>。これらの路線は[[1991年]]に開業した。これにより、空港ターミナル(現第1ターミナル)直下に駅ができ、「[[成田エクスプレス]]」が東京駅までを最短53分で結ぶ<ref>[http://www.jreast.co.jp/nex/index.html JR東日本]</ref>など利便性が向上した。また、京成電鉄では[[京成本線]]のそれまでの「成田空港駅」を「[[東成田駅]]」に改称し、新たに開業した成田空港高速鉄道との分岐地点である[[駒井野信号場]] - 東成田駅間を[[京成東成田線]]として分離して支線扱いの路線とした。同線開業の翌年、第2ターミナル開業の際には、同時に[[空港第2ビル駅]]が設置された。
*[[航空科学博物館]]・南部工業団地・[[多古町|多古]][[大栄町 (千葉県)|大栄]][[香取市|佐原]][[栗源町|栗源]]の各方面の近距離路線バスが運行されている。
+
*[[九十九里浜|九十九里]]海岸方面の[[空港シャトルバス (成田空港)|空港シャトルバス]]が運行されている。
+
  
===タクシー===
+
滞っていたB案も鉄道アクセスの充実のため、京成線の短絡線として[[北総鉄道北総線|北総線]]を経由する[[京成成田空港線|成田スカイアクセス]](成田新高速鉄道)プロジェクトとして進められ、2010年[[7月17日]]に旅客営業を開始し、JR東日本[[山手線]]等の[[日暮里駅]]から成田空港への所要時間が最速36分と短縮された。
*定額[[運賃]][[タクシー]]
+
**[[東京都]]内へゾーン内均一[[運賃]]で運行
+
**[[長野県]]全域及び[[新潟県]]中越、下越からゾーン内均一運賃で運行([http://www.chuotaxi.co.jp/ 中央タクシー])
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===[[ヘリコプター]]===
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また、都心と時速300 kmのリニアモーターカーで結ぶ「[[羽田・成田リニア新線構想]]」を[[神奈川県]][[松沢成文]]知事や[[千葉県]][[森田健作]]知事<ref>{{PDFlink|[http://www.chiba-moriken.jp/manifesto.pdf 森田健作マニフェスト]}}</ref>が提唱している。ルートは、両空港間以外にも、横浜から東京都内や千葉を経て成田空港に至るもので、新宿やさいたま新都心までの支線も整備も考えられている。この構想が実現すれば、両空港間のアクセスが約27分と短縮される。この構想について、国土交通省が2009年2月に総事業費3兆円と試算を示したが、財源など実現に向けての課題がある<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=200902/2009022400375 成田〜羽田リニア、事業費3兆円=国交省が試算] 時事ドットコム([[時事通信社|時事通信]])2009年02月24日{{リンク切れ|date=2011年10月}}</ref>{{リンク切れ|date=2011年10月}}。
*[[雄飛航空]]([http://www.heli-express.com/ 成田ヘリ・エクスプレス])
+
**[[東京ヘリポート]] [[東京都]][[江東区]]
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**[[川島ヘリポート]] ([[埼玉県]][[川島町]]
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**[[群馬ヘリポート]] ([[群馬県]][[前橋市]])
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*かつて[[東京国際空港|羽田空港]]及び[[横浜みなとみらい21]]との間でヘリコプター航路があった(運行:[[シティ・エアリンク]] 就航期間:[[1988年]]6月20日から[[1991年]]11月19日まで)
+
  
===[[自動車]]===
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* バス
自動車で空港へアクセスする場合、以下3つのルートがある、
+
1978年の開港時に、[[東京空港交通]]などの運航する定期バス「[[リムジンバス]]」が、空港ターミナルと[[東京シティエアターミナル]]や都内の主要ホテルなどの都内各地や千葉県内の主要駅、羽田空港との間を5分-60分に1本程度の頻度で運行された。[[1979年]]に運用を開始した[[横浜シティ・エア・ターミナル]]との間も10分-60分に1本程度の頻度で運航が行われ、成田空港と都内、羽田空港、横浜を結ぶ主要な交通機関となった。
*[[東関東自動車道]]から[[新空港自動車道]]を経由し、[[新空港インターチェンジ|新空港IC]]から、第1ゲートもしくは、第2ゲートより入場。
+
*[[国道295号]](通称:空港通り)から第2ゲートより入場。
+
*[[国道296号]]から[[千葉県道106号八日市場佐倉線]]または[[千葉県道62号成田松尾線]]を経由し、第6(南)ゲートより入場。
+
※海外要人の訪日や反対派によるデモ、空港内における事件、事故などによってゲートが封鎖される場合があるので入場には注意が必要。
+
  
'''駐車場'''
+
だが開港当時は[[首都高速湾岸線]]の多くが完成していなかったため、[[箱崎ジャンクション]]付近を中心として[[首都高速都心環状線]]とその放射線において渋滞が慢性的に起きていた。この渋滞にはまると、成田空港と都内、羽田空港、横浜方面との移動の時間が読めないことが問題となった。
*空港内駐車場について
+
空港内には、
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*第1ターミナル駐車場(P1):普通車約1000台、大型バス20台収容
+
*:入場から1時間まで460円、1時間超え6時間まで30分毎230円、6時間超え30分毎30円。長期駐車の場合、午前0時を超え1泊2日以上1500円/日×2=3000円
+
*第2ターミナル駐車場(P2):普通車約1300台収容
+
*:入場から1時間まで500円、以下第1ターミナル駐車場に同じ。
+
*貨物駐車場ビル普通車:普通車約70台収容
+
*:入場から6時間内まで30分毎250円、以下第1・第2ターミナル駐車場に同じ。
+
*大型バス駐車場(P3):普通車110台、大型バス30台収容
+
*:入場から1時間まで980円、1時間を超え8時間内まで30分毎470円、8時間を超え30分毎140円。
+
の4つの有料駐車場が設けられており、空港利用者なら誰でも利用することが出来るようになっている。また、[[自動二輪]]車用の駐車スペース(第1・2ターミナル、貨物)も確保されている。第2ターミナル立体駐車場には、普通車100台分の予約駐車スペースが有り、事前にインターネットで申し込む事によって利用可能である(事前に1日分利用料1500円×日数分の振り込みが必要)。
+
  
*民間駐車場について
+
しかしその後、[[1980年代]]に入り首都高速湾岸線の多くが完成したため、リムジンバスが箱崎ジャンクションの渋滞を避けて都内へ向かうことが可能となった上に、[[1983年]]に高速湾岸分岐線が開通したことから、定期バスにより成田空港と羽田空港、横浜方面を結ぶアクセスが改善した。さらに[[1997年]][[東京湾アクアライン]]が開通したため、首都高速湾岸線や[[首都高速1号羽田線]]の渋滞時には、これを避けて羽田空港及び横浜方面へ向かうことが可能になった。
[[国道51号]]が交差する寺台[[インターチェンジ|IC]]から国道295号へ入って空港へ向かうと、空港の数キロ手前から、[[駐車場]]業者が出現する。主に、航空券を購入した[[旅行会社]]から紹介されることが多い。料金は内容や時期にもよるが一日当たり1000~2000円程度で空港内の駐車場よりも安い。[[バス (交通機関)|バス]]の便のない地区の人々は[[自動車|自家用車]]で向かい、このような駐車場へ止めることも多い。その場合、車を駐車場に置いて、駐車場の送迎バスでターミナルへ向かう。帰国時には、駐車場へ電話をかけてターミナルに迎えにきてもらう。仮に周辺駐車場へ止める場合、東関東自動車道で空港へアクセスした場合、「[[成田インターチェンジ|成田IC]]」を下りて国道295号から空港方面に向かう必要がある。
+
  
また空港周辺の多くの[[ホテル]]では、宿泊すると最大で2週間程度車を預かってくれるサービスがある。ホテルによってはパーキングプランのような商品を出していることもある。
+
なお、東京シティエアターミナルでは、日本航空やユナイテッド航空、大韓航空などの主な航空会社の搭乗手続きや出国審査の手続きが可能だった。[[2001年]]に起きた[[アメリカ同時多発テロ事件]]の影響による各航空会社のセキュリティ強化および行政改革の一環として、[[2002年]]に搭乗手続き業務、出国審査業務ともに終了した。
  
※ターミナル前のカーブサイド(車両乗降場)での、送迎や駐車、車両受け渡しは禁止されている。また、空港内では、成田国際空港警察署によって駐車違反や[[シートベルト]]違反などの交通取締りが頻繁に行われている。
+
2012年7月3日から、[[京成バス]]が東京駅~成田空港間で格安高速バス「東京シャトル」の運行を開始した。同区間を運行するリムジンバスの運賃の3分の1という運賃の安さにより利用者が急増している。また、同年8月10日からは[[平和交通]]も同区間で格安高速バス「THE アクセス成田」の運行を開始している。
  
 
== 就航路線 ==
 
== 就航路線 ==
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==== 過去に乗り入れていた航空会社 ====
 
==== 過去に乗り入れていた航空会社 ====
* {{Flagicon|JPN}} [[日本航空|JALカーゴ]] (貨物便の廃止により撤退)
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* {{JPN}} [[日本航空|JALカーゴ]] (貨物便の廃止により撤退)
* {{Flagicon|JPN}} [[日本エアシステム]] (日本航空インターナショナル(現・日本航空)に吸収合併)
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* {{JPN}} [[日本エアシステム]] (日本航空インターナショナル(現・日本航空)に吸収合併)
* {{Flagicon|JPN}} [[日本アジア航空]] (日本航空インターナショナル(現・日本航空)に吸収合併)
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* {{JPN}} [[日本アジア航空]] (日本航空インターナショナル(現・日本航空)に吸収合併)
* {{Flagicon|JPN}} [[JALウェイズ]] (日本航空インターナショナル(現・日本航空)に吸収合併)
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* {{JPN}} [[JALウェイズ]] (日本航空インターナショナル(現・日本航空)に吸収合併)
* {{Flagicon|JPN}} [[シティ・エアリンク]] (羽田 - 成田間のヘリコプター)
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* {{JPN}} [[シティ・エアリンク]] (羽田 - 成田間のヘリコプター)
* {{Flagicon|JPN}} [[スカイマーク]]  
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* {{JPN}} [[スカイマーク]]  
* {{Flagicon|CHN}} [[中国民用航空局|中国民航]] (分割・民営化)
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* {{CHN}} [[中国民用航空局|中国民航]] (分割・民営化)
* {{Flagicon|CHN}} [[山東航空]]  
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* {{CHN}} [[山東航空]]  
* {{Flagicon|CHN}} [[深セン航空|深圳航空]]  
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* {{CHN}} [[深セン航空|深圳航空]]  
* {{Flagicon|HKG}} [[香港ドラゴン航空]] (親会社のキャセイパシフィック航空に全面移管)
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* {{HKG}} [[香港ドラゴン航空]] (親会社のキャセイパシフィック航空に全面移管)
* {{Flagicon|HKG}} [[香港航空]]
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* {{HKG}} [[香港航空]]
* {{Flagicon|KOR}} [[アシアナ航空|アシアナ航空カーゴ]] 
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* {{KOR}} [[アシアナ航空|アシアナ航空カーゴ]] 
* {{Flagicon|ROC}} [[エバー航空|エバー航空カーゴ]]
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* {{ROC}} [[エバー航空|エバー航空カーゴ]]
* {{Flagicon|Bangladesh}} [[ビーマン・バングラデシュ航空]] (不採算対象路線)
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* {{Bangladesh}} [[ビーマン・バングラデシュ航空]] (不採算対象路線)
* {{Flagicon|IRQ}} [[イラク航空]] (1991年湾岸危機による撤退)
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* {{IRQ}} [[イラク航空]] (1991年湾岸危機による撤退)
* {{Flagicon|Kuwait}} [[クウェート航空]] (乗り入れが発表され、スケジュールまで発表されたものの湾岸危機などで実現しなかった)
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* {{Kuwait}} [[クウェート航空]] (乗り入れが発表され、スケジュールまで発表されたものの湾岸危機などで実現しなかった)
* {{Flagicon|IRN}} [[イラン航空]] (機材の老朽化とエンジン規制にかかる理由)
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* {{IRN}} [[イラン航空]] (機材の老朽化とエンジン規制にかかる理由)
* {{Flagicon|EGY}} [[エジプト航空]]  
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* {{EGY}} [[エジプト航空]]  
* {{Flagicon|USA}} [[ミネベア航空]] (会社清算、貨物便のみ)
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* {{USA}} [[ミネベア航空]] (会社清算、貨物便のみ)
* {{Flagicon|USA}} [[パンアメリカン航空]] (太平洋路線をユナイテッド航空に売却)
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* {{USA}} [[パンアメリカン航空]] (太平洋路線をユナイテッド航空に売却)
* {{Flagicon|USA}} [[フライング・タイガース]] (フェデックスに吸収合併、貨物便のみ)
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* {{USA}} [[フライング・タイガース]] (フェデックスに吸収合併、貨物便のみ)
* {{Flagicon|USA}} [[ノースウエスト航空]] (デルタ航空と合併)
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* {{USA}} [[ノースウエスト航空]] (デルタ航空と合併)
* {{Flagicon|USA}} [[コンチネンタル航空]] (ユナイテッド航空と合併)
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* {{USA}} [[コンチネンタル航空]] (ユナイテッド航空と合併)
* {{Flagicon|USA}} [[ABXエア]]
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* {{USA}} [[ABXエア]]
* {{Flagicon|USA}} [[エバーグリーン航空|エバーグリーン国際航空]] (日本航空の提携切れによる)
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* {{USA}} [[エバーグリーン航空|エバーグリーン国際航空]] (日本航空の提携切れによる)
* {{Flagicon|CAN}} [[カナディアン航空]] (エアカナダと合併)
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* {{CAN}} [[カナディアン航空]] (エアカナダと合併)
* {{Flagicon|BRA}} [[ヴァリグ・ブラジル航空]](乗客の米国通過トランジットビザ都合などで)
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* {{BRA}} [[ヴァリグ・ブラジル航空]](乗客の米国通過トランジットビザ都合などで)
* {{Flagicon|FRA}} [[AOMフランス航空]] (破産)
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* {{FRA}} [[AOMフランス航空]] (破産)
* {{Flagicon|FRA}} [[UTA|UTAフランス航空]] (エールフランスに吸収合併)
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* {{FRA}} [[UTA|UTAフランス航空]] (エールフランスに吸収合併)
* {{Flagicon|LIB}} [[トランス・メディテラネアン航空]] (運航休止、貨物便のみ)
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* {{LIB}} [[トランス・メディテラネアン航空]] (運航休止、貨物便のみ)
* {{Flagicon|GRE}} [[オリンピック航空]] (運休・発着枠も返上)
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* {{GRE}} [[オリンピック航空]] (運休・発着枠も返上)
* {{Flagicon|BEL}} [[サベナ・ベルギー航空]] (破産)
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* {{BEL}} [[サベナ・ベルギー航空]] (破産)
* {{Flagicon|SUI}} [[スイス航空]] (破産、スイスインターナショナルエアラインズに引き継がれた)
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* {{SUI}} [[スイス航空]] (破産、スイスインターナショナルエアラインズに引き継がれた)
* {{Flagicon|SUI}} [[エーデルワイス航空]]  
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* {{SUI}} [[エーデルワイス航空]]  
* {{Flagicon|SPA}} [[イベリア航空]] (不採算対象路線)
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* {{SPA}} [[イベリア航空]] (不採算対象路線)
 
* {{RUS}} [[ウラジオストク航空]] (社名変更)
 
* {{RUS}} [[ウラジオストク航空]] (社名変更)
 
* {{RUS}} [[アエロフロート・カーゴ]]
 
* {{RUS}} [[アエロフロート・カーゴ]]
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| 約48万人 || 上位50位
 
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== 定期路線一覧 ==
 
=== 国際線 ===
 
*東アジア
 
**{{KOR}}:[[仁川国際空港|ソウル(仁川)]]、[[金海国際空港|釜山]]、[[済州国際空港|済州]]
 
**{{ROC-TW}}:[[台北国際空港|台北]]、[[高雄国際空港|高雄]]
 
**{{CHN}}:[[北京首都国際空港|北京]]、[[瀋陽桃仙国際空港|瀋陽]]、[[長春龍嘉国際空港|長春]]、[[大連周水子国際空港|大連]]、[[青島流亭国際空港|青島]]、[[上海浦東国際空港|上海]]、[[厦門高崎国際空港|厦門]]、[[成都双流国際空港|成都]]、[[西安咸陽国際空港|西安]]、[[杭州蕭山国際空港|杭州]]、[[広州白雲国際空港|広州]]、[[深セン宝安国際空港|深圳]]
 
**{{HKG}}:[[香港国際空港|香港]]
 
**{{MNG}}:[[チンギスハーン国際空港|ウランバートル]]
 
*東南アジア
 
**{{IDN}}:[[スカルノハッタ国際空港|ジャカルタ]]、[[デンパサール国際空港|デンパサール]]
 
**{{SGP}}:[[シンガポール・チャンギ国際空港|シンガポール]]
 
**{{THA}}:[[スワンナプーム国際空港|バンコク]]
 
**{{PHL}}:[[ニノイ・アキノ国際空港|マニラ]]、[[マクタン・セブ国際空港|セブ]]
 
**{{VNM}}:[[ノイバイ国際空港|ハノイ]]、[[タンソンニャット国際空港|ホーチミン]]
 
**{{MYS}}:[[クアラルンプール国際空港|クアラルンプール]]、[[コタキナバル国際空港|コタキナバル]]
 
*南アジア
 
**{{IND}}:[[インディラ・ガンディー国際空港|デリー]]、[[チャトラパティ・シヴァジー国際空港|ムンバイ]]
 
**{{LKA}}:[[カトゥナーヤカ国際空港|コロンボ]]
 
**{{PAK}}:[[ジンナー国際空港|カラチ]]、[[イスラマバード国際空港|イスラマバード]]、[[ラホール国際空港|ラホール]]
 
**{{MDV}}:[[マレ国際空港|マレ]]
 
*中央アジア
 
**{{UZB}}:[[ユジュニ空港|タシュケント]]
 
*中近東
 
**{{IRN}}:[[メーラバド国際空港|テヘラン]]
 
**{{TUR}}:[[アタテュルク国際空港|イスタンブール]]
 
*北米
 
**{{USA}}:[[ワシントン・ダレス国際空港|ワシントンD.C.(ダレス)]]、[[ジョン・F・ケネディ国際空港|ニューヨーク(ケネディ)]]、[[ニューアーク国際空港|ニューアーク]]、[[オヘア国際空港|シカゴ(オヘア)]]、[[ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港|アトランタ]]、[[デトロイト・メトロポリタン国際空港|デトロイト]]、[[ミネアポリス・セントポール国際空港|ミネアポリス]]、[[ロサンゼルス国際空港|ロサンゼルス]]、[[サンフランシスコ国際空港|サンフランシスコ]]、[[ポートランド国際空港|ポートランド]]、[[シアトル・タコマ国際空港|シアトル]]、[[ダラス・フォートワース国際空港|ダラス]]、[[ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港|ヒューストン]]、[[ホノルル国際空港|ホノルル]]、[[コナ国際空港|コナ]]
 
**{{CAN}}:[[トロント・ピアソン国際空港|トロント]]、[[バンクーバー国際空港|バンクーバー]]
 
*中南米
 
**{{MEX}}:[[メキシコ・シティ国際空港|メキシコシティー]]、[[ヘネラル・アベラルド・L・ロドリゲス国際空港|ティファナ]]
 
**{{BRA}}:[[グアルーリョス国際空港|サンパウロ]]
 
*ヨーロッパ
 
**{{GBR}}:[[ロンドン・ヒースロー空港|ロンドン(ヒースロー)]]
 
**{{ITA}}:[[フィウミチーノ空港|ローマ]]、[[ミラノ・マルペンサ国際空港|ミラノ]]
 
**{{AUT}}:[[ウィーン国際空港|ウィーン]]
 
**{{NLD}}:[[スキポール空港|アムステルダム]]
 
**{{CHE}}:[[チューリヒ国際空港|チューリヒ]]
 
**{{DNK}}:[[コペンハーゲン国際空港|コペンハーゲン]]
 
**{{DEU}}:[[フランクフルト国際空港|フランクフルト]]、[[ミュンヘン国際空港|ミュンヘン]]
 
**{{FIN}}:[[ヘルシンキ・ヴァンター国際空港|ヘルシンキ]]
 
**{{FRA}}:[[シャルル・ド・ゴール国際空港|パリ(ド・ゴール)]]
 
**{{RUS}}:[[シェレメーチエヴォ国際空港|モスクワ]]
 
*オセアニア
 
**{{MNP}}:[[サイパン国際空港|サイパン]]
 
**{{GUM}}:[[グアム国際空港|グアム]]
 
**{{AUS}}:[[シドニー国際空港|シドニー]]、[[ケアンズ国際空港|ケアンズ]]、[[ブリスベン国際空港|ブリスベン]]、[[メルボルン空港 (オーストラリア)|メルボルン]]、[[パース空港|パース]]
 
**{{NZL}}:[[オークランド国際空港|オークランド]]、[[クライストチャーチ国際空港|クライストチャーチ]]
 
**{{PNG}}:[[ポートモレスビー・ジャクソン国際空港|ポートモレスビー]]
 
**{{FJI}}:[[ナンディ国際空港|ナンディ]]
 
**{{TAH}}:[[パペーテ・タヒチ国際空港|パペーテ]]
 
**{{NCL}}:[[ヌメア国際空港|ヌーメア]]
 
*アフリカ
 
**{{EGY}}:[[カイロ国際空港|カイロ]]
 
 
この他、日本航空の中部国際空港連絡便(国際線扱い。後述の国内線とは異なる)がある。
 
 
=== 国内線 ===
 
各路線、午前中または夕方成田着と夕方~夜間成田発を中心に運航されており、国際線の間合い運用として、国際線用の機材が用いられる便も多い。
 
*[[新千歳空港]] 3往復 (日本航空(JAL)、全日空(ANA)、アイベックスエアラインズ(IBX))
 
*[[仙台空港]] 2往復 (ANA、IBX)
 
*[[小松空港]] 1往復 (IBX)
 
*[[中部国際空港]] 3往復 (JAL、ANA)
 
*[[大阪国際空港]] 4往復 (JAL、ANA、IBX)
 
*[[広島空港]] 1往復 (IBX)
 
*[[福岡空港]] 3往復 (JAL、ANA)
 
*[[那覇空港]] 1往復 (ANA)
 
 
ANAが国際線間乗継利便のために[[関西国際空港]]便を国内線扱いで就航させていたが、現在は休止され、大阪国際空港便に統合されている。
 
 
※IBEXが運航する便は、全便ANAとの共同運航である。また、海外の航空会社とのコードシェアを行っている便もある。
 
 
== 乗り入れている航空会社 ==
 
(A) は[[スターアライアンス]]、(W) は[[ワンワールド]]、(T) は[[スカイチーム]]に所属している航空会社<BR />
 
*は相手機材のみで共同運航している航空会社
 
 
==== 第1ターミナル 北ウイング ====
 
*[[アエロメヒコ航空]] (T)
 
*[[アリタリア航空]] (T)
 
*[[エールフランス航空]] (T)
 
*[[KLMオランダ航空]] (T)
 
*[[コンチネンタル航空]] (T)
 
**[[コンチネンタル・ミクロネシア航空]] (T)
 
*[[大韓航空]] (T)
 
*[[デルタ航空]] (T)
 
*[[ノースウエスト航空]] (T)
 
 
*[[ヴァージン・アトランティック航空]]
 
*[[エア・カレドニア・インターナショナル]]
 
*[[ブリティッシュ・エアウェイズ]] (W)
 
 
==== 第1ターミナル 南ウイング ====
 
*[[全日本空輸]] (A)
 
**[[エアーニッポン]]
 
**[[エアージャパン]]
 
**[[エアーセントラル]] (国内線のみ)
 
**[[アイベックスエアラインズ]] (国内線のみ)
 
 
*[[アシアナ航空]] (A)
 
*[[エア・カナダ]] (A)
 
*[[オーストリア航空]] (A)
 
*[[シンガポール航空]] (A)
 
*[[スイス インターナショナル エアラインズ]] (A)
 
*[[スカンジナビア航空]] (A)
 
*[[タイ国際航空]] (A)
 
*[[ユナイテッド航空]] (A)
 
*[[USエアウェイズ]] (A)*
 
*[[ルフトハンザドイツ航空]] (A)
 
 
*[[ウズベキスタン航空]]
 
*[[エバー航空]]
 
*[[上海航空]] (A) 加盟予定*
 
*[[トルコ航空]] (A) 加盟予定
 
*[[MIATモンゴル航空]]
 
 
==== 第2ターミナル ====
 
*[[日本航空]]グループ (W)
 
**[[日本航空インターナショナル]]
 
**[[JALウェイズ]]
 
**[[日本アジア航空]]
 
 
*[[アメリカン航空]] (W)
 
*[[イベリア航空]] (W)*
 
*[[カンタス航空]] (W)
 
*[[キャセイ・パシフィック航空]] (W)
 
*[[フィンランド航空]] (W)
 
 
*[[アエロフロート・ロシア航空]] (T)<!--第1ターミナル北ウイングへ移転予定 時期は未定-->
 
*[[アモイ航空]] *
 
*[[イラン航空]]
 
*[[エア・インディア]]
 
*[[エア・タヒチ・ヌイ]]
 
*[[エア・パシフィック航空]]
 
*[[エジプト航空]] (A) 加盟予定
 
*[[ガルーダ・インドネシア航空]]
 
*[[スリランカ航空]]
 
*[[チャイナエアライン]]
 
*[[中国国際航空]] (A) 加盟予定
 
*[[中国東方航空]]
 
*[[中国南方航空]] (T) 加盟予定
 
*[[ニューギニア航空]]
 
*[[ニュージーランド航空]] (A)
 
*[[パキスタン国際航空]]
 
*[[フィリピン航空]]
 
*[[ベトナム航空]]
 
*[[マレーシア航空]]
 
*[[メキシカーナ航空]] *
 
 
=== 国際貨物線 ===
 
*[[日本貨物航空]]
 
*[[エア・ホンコン]]
 
*[[:en:Singapore Airlines Cargo|シンガポール航空カーゴ]]
 
*[[フェデックス]]
 
*[[:en:Polar Air Cargo|ポーラーエアカーゴ]]
 
*[[ユナイテッド・パーセル・サービス]]
 
*[[:en:Lufthansa_Cargo|ルフトハンザ・カーゴ]]
 
 
=== 過去に乗り入れていた航空会社 ===
 
*[[日本エアシステム]]([[日本航空ジャパン]]に社名変更後、[[日本航空インターナショナル]]と合併)
 
*[[ミネベア航空]](会社清算 貨物便のみ)
 
*[[シティ・エアリンク]](羽田~成田間のヘリコプター)
 
*[[イベリア航空]](運休・発着枠も返上の上で現在は日本航空とコードシェア)
 
*[[イラク航空]](運休)
 
*[[ヴァリグ・ブラジル航空]](運休・発着枠も返上)
 
*[[:en:AOM French Airlines|AOMフランス航空]]
 
*[[オリンピック航空]](運休・発着枠も返上)
 
*[[カナディアン航空]](エアカナダと合併)
 
*[[サベナ・ベルギー航空]](破産)
 
*[[スイス航空]](破産、スイス インターナショナル エアラインズに引き継がれる)
 
*[[中国民航]](分割)
 
*[[:en:Trans Mediterranean Airways|TMAレバノン航空]](運休、貨物便のみ)
 
*[[パンアメリカン航空]](破産)
 
*[[ビーマン・バングラデシュ航空]](運休)
 
*[[フライング・タイガース]](フェデックスに吸収合併、貨物便のみ)
 
*[[ブリティッシュ・カレドニアン航空]](ブリティッシュ・エアウェイズに吸収合併)
 
*[[UTA|UTAフランス航空]](エールフランスに吸収合併)
 
  
 
==管理会社・成田国際空港株式会社==
 
==管理会社・成田国際空港株式会社==
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*三里塚記念公園…[[宮内庁下総御料牧場]]の歴史を後世に伝える為に、御料牧場旧跡地に開設された公園。中には三里塚御料牧場記念館があり、御料牧場百年余の歴史について解説されている。
 
*三里塚記念公園…[[宮内庁下総御料牧場]]の歴史を後世に伝える為に、御料牧場旧跡地に開設された公園。中には三里塚御料牧場記念館があり、御料牧場百年余の歴史について解説されている。
 
*さくらの山公園(成田市)、さくらの丘公園(NAA)…空港のすぐそばにあり、離着陸する飛行機がよく見える駐車場・公衆トイレなどが整備された公園。両方の公園に桜の名前が付くのには、空港建設で移転した宮内庁下総御料牧場が桜の名所として親しまれてきた為。
 
*さくらの山公園(成田市)、さくらの丘公園(NAA)…空港のすぐそばにあり、離着陸する飛行機がよく見える駐車場・公衆トイレなどが整備された公園。両方の公園に桜の名前が付くのには、空港建設で移転した宮内庁下総御料牧場が桜の名所として親しまれてきた為。
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画像:Sakura-No-Yama.jpg|空港北側の「さくらの山公園」
 
画像:Sakura-No-Oka.jpg|空港南側の「さくらの丘公園」
 
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==関連項目==
 
==関連項目==
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*[[ライオット]]
 
*[[ライオット]]
 
東京エアポート
 
東京エアポート
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== 脚注 ==
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<references/>
  
 
==外部リンク==
 
==外部リンク==

2015年10月3日 (土) 01:59時点における最新版

成田国際空港

成田国際空港(なりたこくさいくうこう、Narita International Airport)は、千葉県成田市の南東部、三里塚地区にある国際空港である。首都圏に発着する国際線や、主要都市への国内線航空便が発着する、空港法4条で法定されている空港で、航空法上の混雑空港である。

かつての正式名称は「新東京国際空港」であったが、2004年4月1日成田国際空港株式会社法が施行され、空港を管理する新東京国際空港公団New Tokyo International Airport Authority, NAA)が、日本国政府による100%出資で設立された成田国際空港株式会社Narita International Airport Corporation, NAA)に改組し民営化(特殊会社化)されたことに伴い、改称された。「NAA」の略称は、旧公団時代から引き継がれたものである。

日本国内では、上記の改称以前から広く「成田空港」もしくは単に「成田」という呼び方が定着している。また、国際的な視点から見ると、日本国の首都である東京の国際空港として機能しているため、千葉県内に空港が所在しながらも便宜上「東京成田」(Tokyo-Narita)あるいは単に「東京」とも言われることがあるが、東京国際空港(通称:羽田空港)と区別するため前者が用いられることが多い。

目次

空港概要[編集]

  • 開港:1978年5月20日
  • 航空機発着回数:18万8820回(2006年)日本第2位(1位は東京国際(羽田)空港
  • 航空旅客数:約3506万人(2006年)日本第2位(1位は東京国際空港)、世界第24位
  • 航空貨物取扱量:約223万トン(2006年)日本最大(2位は関西国際空港)、世界第5位
  • 空港敷地面積:940 ha(計画1,080 ha)
  • 滑走路
    • A滑走路:16R/34L, 4000×60 m (16R・34LともILSを装備)
    • B滑走路:16L/34R, 2180×60 m (16L・34RともILSを装備、計画2500×60 m)
  • 誘導路:延長 約25.5 km 幅30 m(一部23 m)(暫定計画を含む)(計画延長 約34.2 km 幅30 m)
  • 航空保安無線施設
    • ILS 4式 (計画ILS6式)
    • VOR/DME 2式
  • エプロン:面積 約218 ha (計画面積 約260 ha)
  • スポット:137スポット(工事により一部閉鎖中の物を含む)(計画143スポット)
  • 運用時間:24時間
  • 利用時間:6:00 - 23:00(航空機の通常離発着時間帯に制限)
  • 誘導路の延長・エプロンの面積の推移は「誘導路の延長とエプロンの面積の推移」を参照

空港機能[編集]

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全体計画図

日本を代表する空の玄関口(ハブ空港)の一つであるが、歴史的経緯成田空港問題)により、開港後35年以上経過した2014年現在も、建設計画自体が完了していない。開港後の拡張工事も進まず、騒音問題から23時〜6時(JST)の離着陸禁止や[1][2][3]東京都区部からのアクセス時間の長さ、国内線乗り入れ便数の極端な少なさなどの問題もあり、羽田空港の再拡張や再国際化や24時間運用が進められた。これに対し、成田空港も京成成田空港線の開業によるアクセス向上や、発着枠の拡大、23時~24時の例外的離着陸容認などで、競争力を高めようとしている[3]

1992年の第2ターミナル完成に伴い、管制塔からの航空機視認性が悪化するため新たな管制塔が造られた。従来の管制塔はランプタワーとして地上管制業務の一部を行い、新たな管制塔は航空管制業務を行う施設となっている。

A滑走路[編集]

A滑走路(第1滑走路)は、関西国際空港の第2滑走路(06L/24R)と並び、日本国内では最長の4,000m滑走路を有している。 しかし、開港以降も、A滑走路南端から約800mの位置に反対派の「団結小屋」が建つ未買収地が234残っていたため、アプローチ帯を建設できず、本来そこにあるべき進入灯をA滑走路南側内に750mにわたって設置せざるを得ず、南側から着陸する場合は実質3,250mの滑走路としてしか利用できなかった。その後、当該範囲の土地取得により、2009年度(平成21年度)から、A滑走路南側内にある進入灯をアプローチ帯へ移設する工事を行い、2012年平成24年12月13日に4,000mの滑走路として完全運用を開始した[4]

B滑走路[編集]

B滑走路(第2滑走路)は、2002年5月に開かれた日韓ワールドカップに間に合うよう、同年4月18日に、当初計画の長さより短い2,180mの平行滑走路として暫定的に供用開始された。これは滑走路の用地買収が進まず、反対派住民の住居などを避けるため、B滑走路の一部を計画時より北西側に延伸させたためである。 延長が短いためB滑走路の離着陸には制約が設けられ、重量の大きなボーイング747以上の大型機と貨物を含む長距離国際線には使用できず、中小型機と国内線・近距離国際線のみに使用された。

本来の長さである2,500mへの延伸は、反対派の敷地を避けるため、条件派の土地を収用して空地となった北西方向へ320m延長する案が提示された。2006年8月開催の公聴会意見を踏まえて同年9月11日に当時の国土交通大臣北側一雄がこの案を認可し、2009年10月22日から2,500mでの供用が開始された(方角と大臣姓双方の語句から俗に北側延長と言われている)。供用開始時期は当初2010年3月としていたが、2009年3月23日に発生したフェデックス80便着陸失敗事故の影響を受け、成田国際空港会社と国土交通省が協議をした結果、前倒しでの実施となった。詳細は「歴史」の節を参照。B滑走路では2,500m化に伴い、重量が大きく長い離着陸滑走距離が必要になる(エアバスA380を除いた)大型機の着陸が可能となった。また、長距離国際線ではアメリカ西海岸地域やモスクワへ向かう直行便が離陸できるようになった。

しかしB滑走路に並行する西側誘導路の一部が、空港反対派民家とその所有地を避けるため滑走路側に向かって「への字」に湾曲していた。このため、この部分を走行する航空機は離着陸機の滑走に合わせて一時待機を余儀なくされていた。これを解消するため、成田空港会社はすでに用地収得済みの「への字」部分についてカーブを緩やかにする改修工事を2010年11月末までに完成させ、2011年3月10日より一時待機は廃止された。これにより滑走路との安全距離が確保され、誘導路上での一時待機が無くなり発着効率が大きく向上した。

2009年7月30日には、B滑走路東側に新誘導路が供用開始され、東側誘導路は「離陸(出発)機専用」・西側誘導路は「着陸(到着)機専用」となり、誘導路の使い分けにより離陸までの時間短縮が可能になった。これにより、第2旅客ビル北側において着陸機がある時に行っていたB滑走路へ入るホールド(待機)は廃止され、ホールドスポットも廃止された。また2012年度末に新たにB滑走路西側誘導路と第2旅客ビル地区とを結ぶ誘導路増設工事を進めていたが、2013年3月7日より約720メートル延長された新誘導路と横堀地区エプロンを供用開始した[5][6][7]。新西誘導路の供用開始により、第2旅客ターミナルビルのサテライトから出発した航空機がB滑走路南端から離陸する場合従来の東側誘導路を通るより走行距離が約1800m短縮され、所要時間も約220秒短縮されたことにより、2本の滑走路の発着数が1時間当たり58回から64回に増え、年間発着枠も25万回から27万回に拡大された[5][6][7]

C滑走路[編集]

C滑走路(第3滑走路)は、長さ3,200m・幅60mで主に横風用滑走路[8]として計画されているが、建設工事は凍結中でC滑走路用地はC誘導路として使用されている。

横風用滑走路が整備された場合、強い北風・南風の際の着陸が容易になり、離着陸の遅れの減少、発着の効率性の向上・発着枠の増大が期待できる。しかし、空港反対派の熱田派はC滑走路用地内から撤退したものの、C滑走路用地内に別の空港反対派の所有地や、空港反対派支援者・協力者の一坪運動共有地が多数存在しており、またC滑走路南側部分の航空機整備施設区域に接している所には、駐機スポットが7スポット(512番、511番、510番、509番、508番、507番、506番)増設されている。誘導路を滑走路として再整備を行う際は、これらの7駐機スポットを撤去し代替の駐機スポットの用地が改めて必要となる。またC滑走路南側延長線上の山武市富里市および北側延長線上の成田市大栄地区 (旧大栄町)が飛行コース下になることから、新たな騒音問題が発生する可能性がある[9]

2009年9月17日、成田国際空港会社はC滑走路上の6件の一坪共有地について訴訟を起こし、2013年4月25日、2件54人の地主に対して最高裁が持ち分売却を命ずる判決を下し、一連の裁判は4ヵ所で空港会社の勝訴、2ヵ所が和解で終結した[10][11][12]

貿易港としての機能[編集]

成田空港の2004年(平成16年)度の輸出額は10兆6572億円、輸入額は10兆2978億円と、金額で国内第1位の貿易港である。輸出入品目としては、コンピュータなどの事務用機器、半導体など軽量で付加価値の高い機械機器等が中心となっている。

  • 主な輸出品目(平成16年度):半導体等電子部品(17.4%)、科学光学機器(9.4%)、映像機器(8.2%)、事務用機器(6.8%)、音響・映像機器の部分品(4.0%)
  • 主な輸入品目(平成16年度):事務用機器(15.6%)、半導体等電子部品(14.5%)、科学光学機器(7.9%)、音響・映像機器(含む部品)(4.3%)、医薬品(3.6%)

また、成田空港には、マグロなど魚介類の輸入通関が多く(平成23年度3万7916トン)、成田漁港の別名がある[13]

サービス施設使用料[編集]

国際線で出発する旅客に対し、旅客サービス施設使用料(PSFC)、旅客保安サービス料(PSSC)を、航空券の発券の際に徴収している[14]

  • 旅客サービス施設使用料(PSFC) 出発客: 大人2,090円 小人1,050円
  • 旅客サービス施設使用料(PSFC) 乗継客: 大人1,050円 小人520円
  • 旅客保安サービス料(PSSC):520円

2014年9月現在、国内線旅客に対しては無料であるが、徴収を検討していることが明らかとなった[15]

空港ターミナル[編集]

航空会社により第1ターミナルと第2ターミナルに分かれ、複数ターミナルを持つ大規模空港に多く見られるように、距離が離れているため、間違えると移動に時間が掛かる(ターミナル間連絡バスで約15分)。特に、近年増加している他社との「コードシェア便」(共同運航便)では注意が必要で、実際に機材を運航する航空会社が使用するターミナルに向かう必要がある。

近年、成田空港では第2ターミナルへの偏重、混雑時間の集中やコードシェア便の増加により、利用者にとって不便な部分が多かった。そのため、国際航空連合(エアライン・アライアンス)のグループごとにまとめて、同じターミナルに集約することによって、利用者の利便性を高め、混雑解消を目指し、第1ターミナル南ウイングが供用開始する2006年6月から約1年間かけて20社が段階的に移転することになった。

現在、主な国際航空連合3つは旅客ターミナルがおおまかに分かれており、JALグループを含むワンワールド(oneworld)陣営の多くは第2ターミナル、ANAグループを含むスターアライアンス(Star Alliance)陣営は第1ターミナル南ウイング、ノースウエスト航空大韓航空が加盟するスカイチーム(Sky Team)陣営が第1ターミナル北ウイングを使用している。

(参考:成田国際空港株式会社 - 航空会社再配置計画

歴史[編集]

新空港建設の検討[編集]

1960年代になると、大型ジェット旅客機の増加に加え高度経済成長により年々増大する国際輸送における航空機の重要性が高まったため、滑走路の拡充による発着能力の向上が望まれた。加えて、1960年代中に就航すると予想され日本航空も発注した超音速旅客機の就航による滑走路の長大化も求められた[16]。そのため、羽田空港の再拡張により航空需要に対応しようと検討が開始されたが、

  • 羽田空港の沖合に拡張した場合、東京港の港湾計画との調整が極めて難しい。
  • 当時の港湾土木技術では不可能であった。
  • アメリカ空軍管制区域(横田飛行場上空の「横田ラプコン」)などとの兼ね合いから、航空機の離着陸経路の設定が著しい制約を受ける。
  • 仮に拡張できたとしても、空港の処理能力は20% - 30%程度の増加に留まる。

などの理由から[17]、羽田空港の拡張のみでは長期的航空機輸送需要に対応できないことが判明した。

新空港建設と反対運動[編集]

このため、1962年より新たな東京国際空港の候補地についての調査が開始され、当時の運輸省1965年6月1日に成立した「新東京国際空港公団法案」をもとに、「新東京国際空港」として新東京国際空港公団を中心に新空港を建設するための候補地の検討に入った。候補地としては、千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市)沖の埋め立て地や印旛郡富里村(現・富里市)、茨城県霞ケ浦横浜市金沢区の金沢八景沖の埋め立て地などがあげられた後で[18]、最終的に佐藤栄作内閣中村寅太運輸大臣)は、建設予定地を同県成田市三里塚に変更することを1966年7月4日閣議決定した。これは、国有地である宮内庁下総御料牧場や県有林、またその周辺の土地は開拓農民(その多くは満州からの引き揚げ者)の物であったため、用地買収は容易に進むと考えたからである[19]

しかし、地元農民の一部は買収に伴う移転や騒音問題から空港建設に猛烈に反発し、「三里塚芝山連合空港反対同盟」を結成し反対活動を開始した。更に日本の新左翼が支援を開始し激しい実力行使やゲリラ闘争が行われた(三里塚闘争)。用地買収は停滞したため、政府は土地収用法に基づき行政代執行1971年に2回行い、1期工事の用地を取得した。この際、警備の警察官3名が反対派による襲撃を受け殉職した(東峰十字路事件)。また、反対派は鉄塔を建てて対抗したが、1977年5月6日に撤去された。これに抗議する集会で反対派と機動隊が激突し、反対派支援者1名が死亡した(東山事件)。また反対派によって芝山町長宅前臨時派出所が襲撃され、警察官1人が殉職した(芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件)。

開港4日前にあたる1978年3月26日、成田空港に反対派ゲリラが管制塔に乱入し管制塔内の機器を破壊した(成田空港管制塔占拠事件)ため、開港が5月20日まで延期となった。関連して1978年5月5日には京成電鉄の特急「スカイライナー」用車両が宗吾車庫で放火され、1両が焼失したほか、数編成が被害(後に復旧)を受けダイヤに支障をきたした(京成スカイライナー放火事件)。開港後も過激派の活動が続き、警察は厳重な警備を敷いた。

福田赳夫内閣は「この暴挙が単なる農民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取締りのため断固たる措置をとる」と声明を出し、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を制定した。この管制塔襲撃事件を契機に、空港の安全確保のため、千葉県警察本部警備部に新東京国際空港警備隊が発足し、現在の成田国際空港警備隊に至っている。

開港後[編集]

1978年5月20日に開港したものの、それ以後も反対派によるテロ・ゲリラ事件などが多発し、特に1985年(昭和60年)10月20日には千葉県成田市の三里塚交差点で極左グループと警視庁機動隊が衝突した事件が発生した(「10.20成田現地闘争」)。これらの事件により正常な運営、あるいは2期工事の着工もおぼつかなかったが、1991年11月から隅谷三喜男東京大学名誉教授のほか4名の学識経験者(隅谷調査団)主宰のもと成田空港問題シンポジウムが15回にわたって開催され、引き続き1993年9月から12回にわたって開催された「成田空港問題円卓会議」で今後の成田空港の整備を民主的手続きで進めていくことが確認された。

円卓会議の結論を受け、最終的には1995年に当時の内閣総理大臣村山富市が謝罪、これを地元が受け入れ、その後2期工事への用地買収に応じる地主が出てきた。懸案の2期工事のうち平行滑走路については、1996年には未買収地を避ける形で暫定滑走路を建設する案が計画され、2002年に暫定供用開始した。隅谷三喜男団長を始めとする中立委員の努力や政府の謝罪などもあって反対派住民の態度もしだいに軟化した。その結果、反対運動に乗じて単に違法かつ過激な反政府活動を行っていただけであった反対派は逆に完全孤立化し、事態は収束に至っている。

ドイツミュンヘン国際空港はこのような紛争を避けるため、徹底して成田空港の事例を研究し、反対派を十分に説得した上で建設されている。日本でも、成田での経験をもとに、後に建設された関西国際空港中部国際空港などの大規模空港は、騒音問題などが発生しにくい郊外の海上に造られるようになった[20]

年表[編集]

空港開設まで[編集]

  • 1962年昭和37年)11月16日:新空港建設の方針を閣議決定。
  • 1963年(昭和38年)
    • 6月10日:運輸省航空局が検討資料「新東京国際空港」を発行。4000 m滑走路2本、3600 m滑走路1本、2500 m滑走路2本の巨大空港案が計画される。立地箇所については特定はされていない。
    • 8月27日:富里案および霞ヶ浦案を運輸相が提示。富里・八街反対同盟が結成される。
  • 1965年(昭和40年)11月19日:閣僚会議懇談会が開かれ、富里案に内定する。
  • 1966年(昭和41年)
  • 1967年(昭和42年)8月1日:「公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律」が公布、施行。
  • 1968年(昭和43年)2月26日:三里塚芝山連合空港反対同盟と機動隊が衝突。
  • 1971年(昭和46年)
    • 2月22日:建設予定地で第1次行政代執行。反対同盟と機動隊が衝突。
    • 9月16日東峰十字路事件。建設予定地で第2次強制代執行。反対派の鉄塔が倒される。千葉県へ応援派遣されていた神奈川県警察特別機動隊員30名が東峰十字路付近で過激派数百人に襲撃され、そのうち3名が殉職した。
  • 1977年(昭和52年)
    • 5月6日:4,000m滑走路の南側延長上に反対派によって建設された、高さ約30mおよび、約60mの鉄塔2基が航空法第49条違反の物件であるとして、空港公団は千葉地方裁判所に妨害物除去仮処分命令申請書を提出。千葉地裁の仮処分決定を受け、2基の鉄塔が除去される。
    • 5月7日:運輸省航空局のYS-11型機によって、航空保安施設のフライト・チェック(飛行検査)が実施される。
    • 8月22日:進入表面等の制限表面の上に出る立木の伐採が完了。
    • 11月11日:銚子市上空の飛行に関する合意を同市から得る。
    • 11月26日:飛行場および航空保安施設の完成検査に合格。空港公団は新空港の供用開始日を運輸大臣に提出。
    • 11月28日:運輸大臣が開港日を昭和53年3月30日と告示。
    • 12月3日:ICAO(国際民間航空機関)および関係50ヵ国に対し新空港開港に関わるノータム(航空情報)を発出し、新空港開港を宣言する。

成田空港の開港[編集]

1980年代[編集]

  • 1980年(昭和55年)10月18日:過激派が京成電鉄高砂検車区、京成上野駅、京成電鉄宗吾検車区に停車中のスカイライナーに時限発火装置を仕掛け、一部炎上させる。
  • 1981年(昭和56年)
    • 3月16日:鹿島港から土屋燃料中継基地に向かっていた燃料輸送列車が、千葉県神崎町内で過激派に襲撃、放火される。幸いジェット燃料には着火しなかった。
    • 5月11日茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)内で鹿島線の橋桁(第2宮中架道橋)が溶接機で切り取られているのが見つかる。
  • 1982年(昭和57年)3月13日:中核派によって、国鉄鹿島線、国鉄成田線、国鉄総武本線などの信号ケーブルが切断される。また、国鉄西船橋変電所が時限発火装置によって爆破され、空港用航空燃料輸送列車の運行停止を招く。そのため、県内の列車運行に大きな乱れが生じた。
  • 1983年(昭和58年)
    • 6月:過激派が空港建設に携わる企業の作業員宿舎を放火。民間人の作業員2名が焼死。
    • 8月8日:航空燃料B系パイプライン供用開始(航空燃料暫定輸送終了)。
  • 1984年(昭和59年)
    • 6月23日:開港以来の国際旅客5,000万人達成。
    • 8月1日:航空燃料A系パイプライン供用開始。(1日あたり2万2,000 kl、年間最大800万 kl)
    • 11月14日:燃料パイプライン1本が、過激派の襲撃によって停止する。
  • 1985年(昭和60年)
  • 1986年(昭和61年)11月26日:第2期工事に着工。
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月19日:開港以来の国際旅客1億人達成。
    • 9月21日:成田空港の土地問題を担当する千葉県収用委員会会長が千葉市内の帰宅中に武装した数人の男に襲撃され、瀕死の重傷を負う。事件後中核派が犯行を自認する(千葉県収用委員会会長襲撃事件)。
    • 10月24日:千葉県収用委員会会長以下全委員が辞表を提出。千葉県収用委員会の機能は事実上停止に陥る。以後、機能停止状態が続いていたが、2004年(平成16年)12月8日、16年ぶりに機能回復した。ただし成田空港に対しては、土地収用法の適用は現段階では対象外としている。
  • 1989年平成元年)2月28日:第1旅客ターミナルビル南ウイング附属棟完成。

1990年代[編集]

  • 1990年平成2年)
    • 9月28日:開港以来の国際旅客1億5,000万人達成。
    • 11月6日:開港以来の発着回数が100万回達成。
  • 1991年(平成3年)
    • 1月18日:開港以来の航空貨物取扱量1000万トン達成。
    • 3月19日:成田線成田駅 - 成田空港駅間、京成本線京成成田駅 - 成田空港駅間が開業。
    • 8月1日:2期区域エプロン一部供用開始。
    • 11月21日:第1回成田空港問題シンポジウム開催(以後15回開催)。
  • 1992年(平成4年)
    • 2月20日:情報通信センター、北オペレーションセンター供用開始。
    • 12月3日:第2旅客ターミナルビル地下駅「空港第2ビル駅」供用開始。
    • 12月6日:第2旅客ターミナルビル供用開始、第1旅客ターミナルビル北ウイング、第1および第2サテライト閉鎖。
  • 1993年(平成5年)
    • 2月2日:新管制塔供用開始(全高92.3m)。
    • 2月5日:開港以来の国際旅客2億人達成。
    • 5月24日:第15回成田空港問題シンポジウム開催(終了)。
    • 9月20日:第1回成田空港問題円卓会議開催(以後12回開催)。
  • 1994年(平成6年)
    • 9月15日:A滑走路16(北側)進入方式フルカテゴリーII運用開始。
    • 10月11日:成田空港問題解決のための第12回成田空港問題円卓会議で、国と反対派が学識経験者による調停案を受入れ(円卓会議終了)。
  • 1995年(平成7年)4月8日:開港以来の国際旅客2億5,000万人達成、第2サテライト供用開始、第1旅客ターミナル改修開始。
  • 1996年(平成8年)
    • 3月28日:ILSカテゴリーIIIa運用開始、およびストップ・バーシステム供用開始。
    • 7月1日:新東京国際空港公団 (NAA) 本社が成田空港内に移転。
  • 1997年(平成9年)
    • 4月3日:開港以来の国際旅客3億人達成。
    • 10月13日:開港以来の航空貨物取扱量2,000万トン達成。
  • 1998年(平成10年)
    • 1月22日:芝山鉄道線建設工事起工。
    • 2月1日:第1旅客ターミナルビル第1サテライトの供用開始。
    • 2月2日:空港へ迫撃弾2発と金属弾1発が打ち込まれ、貨物地区の作業員1名が迫撃弾の破片に被弾。救急車で近くの病院に搬送される。迫撃弾のうち1発は近くで破裂、金属弾1発は不発だった。
    • 4月25日:1日の発着枠を360回から370回へと改定。
    • 5月27日:「エコ・エアポート基本構想」を発表。
    • 7月15日:「地域と共生する空港づくり大綱」発表。
    • 11月10日:NAAとアメリカの「ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社」の間で初の姉妹空港の締結を調印。
    • 11月18日:成田空港 - 羽田空港間直通列車運転開始。
    • 12月23日:開港以来の航空機発着回数200万回達成。
  • 1999年(平成11年)
    • 3月16日:第1旅客ターミナルビル北ウイング・中央ビル新館供用開始(南ウイング閉鎖)。
    • 4月27日:新消音施設(ノイズリダクションハンガー)竣工。
    • 5月10日:平行滑走路2000年度完成目標断念を発表。
    • 9月3日:平行滑走路等の整備に関する工事実施計画の変更認可申請。
    • 9月12日太陽光発電システム運用開始。
    • 12月3日:平行滑走路工事着工。
    • 12月26日:17時23分頃、京成上野発の特急電車が成田空港駅到着直後に2両目座席下から発火。西馬込発東成田行急行電車においても東成田駅到着前に座席下から出火。17時30分頃にもJR成田線久里浜発成田空港行快速電車がJR成田駅を発車した直後に連結部から発火。3件の事件全ての焼け跡から時限発火装置が見つかる。JRでは運休や延遅などにより約1万人に影響が出た。

2000年代[編集]

  • 2000年(平成12年)
  • 2001年(平成13年)10月31日:暫定平行滑走路の完成。
  • 2002年(平成14年)
    • 2月21日:暫定平行滑走路(B滑走路)の供用開始日に関するノータム(航空情報)を発出する。
    • 4月12日:成田空港駅に停車中の京成電鉄の特急列車の車内に時限発火装置が仕掛けられ、連結部分より発火。
    • 4月18日:2本目の滑走路・暫定平行滑走路の供用開始。これにより台湾のチャイナエアライン(中華航空)とエバー航空(長榮航空)が羽田から成田へ移管、中国国際航空など中国のエアラインと翼を並べることとなる。
    • 5月13日:回転翼航空機(ヘリコプター)の受け入れ条件を一部緩和。
    • 5月27日:第2旅客ターミナルビル出発ロビー北側増築部(Wカウンター・Yカウンター)の供用開始。
    • 9月25日:第2旅客ターミナルビルスイングゲートの供用開始。
    • 10月16日:空港南口ゲートの供用開始。
    • 10月27日芝山鉄道の供用開始。
    • 12月16日:第1旅客ターミナル第3サテライトの供用開始。
  • 2003年(平成15年)
    • 1月20日:公団、新東京国際空港の改称「成田国際空港」および新会社「成田国際空港株式会社」の名称について扇国土交通大臣へ要望書を提出。
    • 1月27日全日本空輸908便(ボーイング767-300)が、B滑走路を約70mオーバーランし草地に突っ込み、誘導路灯や滑走路末端補助灯を倒し停止した。このため開港後初めて事故により滑走路が閉鎖された。
    • 4月17日:第2旅客ターミナルビル北側および地上通路沿いのスポットの供用開始。
    • 5月29日:開港以来の航空貨物取扱量3,000万トン達成。
    • 11月17日:航空燃料輸送量1億kl達成。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月1日:新東京国際空港公団が民営化され「成田国際空港株式会社」に改組し、同時に空港の正式名称も新東京国際空港から「成田国際空港」に改称、第2給油センター供用開始。
    • 10月19日:第1ターミナルの第1サテライトと第2サテライトを結ぶ連絡通路が開通。
    • 11月25日:第1旅客ターミナルビルの第4サテライトが開業。
  • 2005年(平成17年)
    • 6月8日:開港以来の離着陸回数が300万回達成。
    • 7月15日:暫定平行滑走路を本来の計画とは逆の北側延伸で、国交相と成田国際航空会社・社長が同意。
    • 11月:元過激派16人が国などから1978年の管制塔襲撃事件の損害賠償として約1億300万円の支払いを求められ、2005年になって給料を差し押さえられた。
    • 11月8日:第2ゲートの検問を突破した男を千葉県警察の警察官が追跡中、同県佐倉市直弥の路上で男にナイフで刺され、1人(成田国際空港警察署)は右脇腹を刺され死亡、もう1人(佐倉警察署)は左腕に軽傷を負う。男は他の警察官に殺人未遂などで現行犯逮捕
    • 11月18日:旧新東京国際空港公団発注の成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製談合の疑いが浮上、関わった電機企業各社と成田国際空港会社が東京地検の捜索を受ける。
  • 2006年(平成18年)
    • 1月15日:空港反対同盟熱田派元代表・熱田一(派閥に本人の姓が冠されている)が、空港敷地内にある自宅敷地と、所有権を持つ「横堀墓地」を売却することを表明。「若者が世界へ飛び立ち、帰ってくることによって日本の将来に役立つと考えた」とコメントし、反対運動から完全に身を引く。
    • 4月13日:ILSカテゴリーIIIb運用開始。
    • 6月2日:航空会社再配置、第1旅客ターミナル南ウイング(第5サテライト)・第4 - 第5サテライト連絡地下通路が供用開始。
    • 7月10日:成田国際空港会社、国に対し平行滑走路の北伸2500 m化に伴う飛行場変更申請[21]
  • 2007年(平成19年)
    • 11月18日:開港以来の航空貨物取扱量4,000万トン達成。
    • 12月26日:第1旅客ターミナル中央エリアおよび北ウイングの供用開始。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月6日:成田市南三里塚の雑木林で迫撃砲2門が発見される。翌7日、成田国際空港会社空港技術センター(芝山町岩山)で迫撃弾が発見される。革命軍を名乗る組織から「1日午前6時45分に滑走路に撃ち込んだ」との犯行声明文が報道機関に送られる。
    • 3月16日:15日午後5時すぎから4時間近くにわたり、北朝鮮から発射された電波により成田空港の管制システムで混信が発生する。業務に支障は起きなかったが、総務省国際電気通信連合 (ITU) の無線通信規則に定める識別信号の送出を行っていないと認められたため、国際電気通信連合に通報した。
    • 4月1日:緊急地震速報を運用導入。
    • 5月20日:開港30周年を迎え記念式典が催され、これを記念して日本航空のボーイング747-400型機に特別塗装が施された。
    • 9月12日:旧NAA本社ビル跡地に第5駐車場 (P5) がオープン。
    • 9月25日:当時国土交通大臣であった中山成彬の成田空港建設の反対闘争に関する発言が問題となる。この際の他の発言とともに問題視されたが、中山大臣は反対闘争に対する発言の責任を取る形でその後辞任した。
    • 10月4日:第2ターミナル サテライト到着コンコース和的整備がグッドデザイン賞を受賞する。
    • 10月16日:第7貨物ビルおよび貨物地区トラック待機場の供用開始。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月23日フェデックスマクドネルダグラスMD-11Fが着陸失敗し大破炎上、乗員2名死亡。開港以来初の全損及び死者の出た事故である。
    • 4月:前項の事故を受け、B滑走路2500m供用開始時期を「2010年3月から2009年10月に前倒しする」方向で成田国際空港会社と国土交通省が協議に入る[22]
    • 5月20日:成田国際空港会社と国土交通省の協議の結果、B滑走路2500 m供用開始日を「2009年10月22日」に正式決定。成田市の小泉一成市長は、同日、空港会社によるB滑走路供用開始日が決定したことに伴い「航空機の発着時の安全性がより確保されるとのことで一定の理解をする」としたうえで、「空港会社に対して、騒音の影響を受ける地域への丁寧な説明を要請している」と述べる。
    • 7月30日:B滑走路東側誘導路、供用開始[23]
    • 9月17日:空港会社は、空港反対派らが持つ「一坪運動共有地」と「土地」を空港会社へ売却を求める訴訟を起こす。
    • 10月22日:B滑走路、2500 m化供用開始[24]
    • 12月15日:成田空港周辺の9市町長(成田空港圏自治体連絡協議会)は夜間の離着陸禁止の規制を緩和し、運航時間を延長する案を成田国際空港会社側に示す。

2010年代[編集]

  • 2010年(平成22年)
    • 2月25日:空港用地内B誘導路付近にある“反対派最後の聖域”とも言われていた団結小屋「天神峰現地闘争本部」を撤去し土地をNAAへ明け渡すようにNAAが提訴した裁判で、千葉地裁は撤去を命じる判決。反対派は控訴。
    • 3月28日:A滑走路を離陸専用、B滑走路を着陸専用に使い分け開始。
    • 7月17日京成電鉄の新路線として成田スカイアクセス線が開業。空港第2ビル駅 - 日暮里駅間が最速36分とアクセスが改善された。
    • 9月17日:利用者のさらなる利便性を図るための取り組みとして、第2ターミナルにおいて、成田国際空港株式会社とJTBグローバルマーケティング&トラベルによる成田空港プレミアムコンシェルジュサービスの共同実証実験が期間限定(同年11月16日まで)で開始する。
  • 2011年(平成23年)
  • 2012年(平成24年)
    • 1月25日:最高裁判所は反対派の上告を棄却、反対派の敗訴が確定。
    • 11月28日:4月の東京高裁判決(C滑走路用地内の地権者に対する訴訟)に基づく仮執行により、千葉地裁が「横堀団結小屋」を強制撤去[25]
    • 12月13日:A滑走路を、4000mの全面運用を開始[4]
  • 2013年(平成25年)
    • 3月7日:B滑走路の西側誘導路の約720メートル延長と横堀地区エプロンの供用開始[5][6][7]。これによりA滑走路、B滑走路、2本の滑走路の発着数が1時間当たり58回から64回に増え、年間発着枠も25万回から27万回に拡大された[5][6][7]
    • 3月31日オープンスカイ(航空自由化)開始[26]。悪天候などやむを得ない場合に限り離着陸を午前0時まで延長[3][27]
    • 4月1日:国際線の着陸料を平均5.5%値下げ引用エラー: <ref> タグに対応する </ref> タグが不足しています。値下げは2005年以来となる[28]
    • 4月25日2009年9月17日に空港会社が空港反対派らが持つ横風用滑走路(C滑走路)予定地上の「一坪運動共有地」を空港会社への売却を求めおこした訴訟について最高裁は2件について地権者54人の上告を却下する決定をし、買収に応じるよう命じた一、二審判決が確定した[10][11][12]。これにより空港会社が2009年におこした6件の訴訟は4ヶ所で空港会社の勝訴、2ヶ所で和解して終結した[11][12]。今後、訴訟になっていない数カ所について交渉を続け、取得を目指すとしている[11]
    • 5月20日:空港開港から35年となる。未だに建設計画自体が終了せず。
    • 7月3日京成バスが東京駅~成田空港間で格安高速バス「東京シャトル」を運行開始。
    • 9月27日:第2ターミナルビルとサテライトを結ぶ新たな連絡通路の供用を開始し、シャトルシステムの運行を終了[29]
  • 2014年(平成26年)
    • 10月30日: 第3旅客ターミナル(LCC専用ターミナル)が、第2ターミナルの北側に完成し、2015年(平成27年)4月8日より供用を開始すると発表[30]

空港への交通[編集]

成田空港への交通機関、また成田空港から東京国際空港(羽田空港)への交通機関の詳細については、成田空港公式ページ:空港アクセス情報を参照のこと。

交通機関[編集]

  • 東京都心までは60km程度離れており、東京への用務客は移動に要する時間が長い。そのために当初は東京~成田間を成田新幹線リニアモーターカー (HSST) で結ぶ計画もあったが、建設コストの割に速達効果が薄いなどから中止となる。
  • 空港建設が難航した為、余波を受け千葉県内の道路鉄道などの公共事業の計画は大幅に狂ってしまった。空港建設時の様々な問題から千葉県では収用委員会が機能停止してしまい、道路や鉄道建設の用地取得が進まなくなってしまったためである[31]
  • 1978年には京成電鉄が成田空港駅(現在の東成田駅)まで上野から直通特急「スカイライナー」を運行開始したが、肝心の空港へは駅からバスへ乗り継ぐ必要があり、利用客は伸びなかった。しかし現在は空港ターミナル地下の駅から発着するようになり、利便性が増している。
  • 1991年には、直通の軌道系交通機関がないため「世界一不便な国際空港」と呼ばれていた状況をみた当時の運輸大臣・石原慎太郎の鶴の一声により、東日本旅客鉄道(JR東日本)と京成電鉄の路線が、建設中止になっていた成田新幹線東京駅成田空港駅間)の路盤の一部を活用してそれぞれ分岐・延伸し、成田空港に乗り入れることとなった(成田空港高速鉄道も参照)。その後2010年に成田スカイアクセス線も開通した。当線を経由するスカイライナーは、日暮里駅から空港第2ビル駅まで最速36分で結んでいる。
  • 国内線が、新千歳空港仙台空港小松空港中部国際空港大阪国際空港広島空港福岡空港那覇空港の計8つの空港に就航しているが、各々便数が限られており、国内線と国際線との乗り継ぎは限られる(関西国際空港便、中部国際空港便の一部は国際線乗継専用便としての国際線扱い。国内線扱いの関西国際空港便は休止中)。このため、国際線から国内線への乗り継ぎは都心を横断した先の東京国際空港で行うことになる(航空会社の国内線時刻表では羽田発着国内線~成田発着国際線の乗り継ぎ時間は3時間以上と案内されている)。これらの背景から、地方都市からは、より国内線網が充実している関西国際空港中部国際空港経由で海外に向かうケースが多く見受けられる。また、同様の理由から、国内地方都市との路線を多く持つソウル(仁川国際空港)経由(主に大韓航空アシアナ航空)で海外へ向かうケースも見られる。
  • 一部海外のガイドブックに「エラーポート」と評されるほどの利便性の悪さは、航空機による移動が身近なものとなった今日、無視できないものになってきている。これは世界の主要空港との比較で大きく見劣りする点であるが、急速な航空事情の変化や、日本の国土事情などを鑑みると、容易には解決できない問題でもある。
  • 近年、関西国際空港神戸空港中部国際空港など、主に西日本の海上大規模空港の急ピッチの建設、増設を巡る諸問題も、上記における成田空港の空陸両面の輸送上の機能不全から空港充実が急務として(それだけが原因ではないが)、建設が後押しされていった側面もある。
  1. [http://www.naa.jp/jp/airport/pdf/kitei_01.pdf 成田国際空港供用規程 空港整備・運営 (成田国際空港株式会社), (2012年8月27日) 2013年3月21日閲覧。PDF 
  2. 成田国際空港管理規程 空港整備・運営 (成田国際空港株式会社), (2009年9月30日) 2013年3月21日閲覧。PDF 
  3. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「nikkei20130320」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  4. 4.0 4.1 “成田空港の離着陸を午前0時まで容認 市、悪天候などに限り”. 日本経済新聞. 共同通信. (2013年3月20日) 2013年3月20日閲覧。
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 成田国際空港株式会社プレスリリース 2013年1月4日
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 成田空港:B滑走路に新誘導路 発着便増加へ”. 毎日新聞. (2013年3月7日) 2013年3月20日閲覧。
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 “航空自由化に向け準備着々=新誘導路など供用開始-成田空港”. 時事通信社. (2013年3月7日) 2013年3月7日閲覧。
  8. 滑走路方向は南側「03」、北側「21」で予定。
  9. 「八街市に予想される航空公害」
  10. 10.0 10.1 “一坪共有地:売却訴訟 NAA側が勝訴 支援者の上告却下 /千葉”. 毎日新聞. (2013年4月27日) 2013年4月29日閲覧。
  11. 11.0 11.1 11.2 11.3 “空港反対派の敗訴確定 「一坪共有地」訴訟終結”. 千葉日報. (2013年4月27日) 2013年4月29日閲覧。
  12. 12.0 12.1 12.2 “一坪共有地 反対派の敗訴確定 成田空港 最高裁が上告却下”. 東京新聞. (2013年4月27日) 2013年4月29日閲覧。
  13. 平成23年分 成田空港生鮮貨物輸入動向 東京税関
  14. 旅客サービス施設使用料(PSFC)・保安サービス施設使用料(PSSC) 成田国際空港
  15. 国内線にも施設使用料=1人1000円以内-成田空港 時事通信 2014年9月9日
  16. 新東京国際空港の建設
  17. 成田空港〜その役割と現状〜2011 第4章1
  18. 新東京国際空港の建設
  19. 時をほぼ同じくして、日本中央競馬会も関東馬の厩舎が飽和状態にあった為、大規模な競走馬収容施設を探しており、三里塚もその候補地に挙がっていた。しかし先に空港決定が決まったために、新たな用地を探すことになった。これが後の美浦トレーニングセンターである。2009年に入って『週刊Gallop』が美浦トレセンの誕生秘話を連載した中で、このことが触れられている
  20. 成田国際空港株式会社 - 環境対策・地域共生 - 共生の経緯 - 地域と共生する空港づくり大綱
  21. 平行滑走路の整備に関する飛行場変更許可申請(2006年7月22日時点のアーカイブ
  22. 秋にも延長滑走路の運用開始 炎上事故受け、半年前倒し(2009年4月10日 47NEWS)
  23. 成田空港:東側誘導路の供用スタート 毎日新聞[リンク切れ]
  24. 成田、B滑走路の本格運用開始 大型機が発着可能に(2009年10月22日 47NEWS)
  25. 「成田空港:反対派の団結小屋 強制撤去始まる」2012年11月28日
  26. “成田空港:31日自由化 発着枠拡大、検問機械化など改革”. 毎日新聞. (2013年3月30日) 2013年3月31日閲覧。
  27. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「mlit20130329」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  28. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「asahi20121113」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  29. シャトルシステムに代わり、新たな連絡通路を供用開始! - 成田国際空港(2013年9月13日)
  30. “成田空港はなぜ新ターミナルを作るのか?”. Business Media 誠. (2014年11月3日) 2014年12月27日閲覧。
  31. 財団法人国土技術センターのサイトより

鉄道[編集]

詳細は 空港連絡鉄道#成田国際空港 を参照

第1ターミナルの下に成田空港駅が、第2ターミナルの下に空港第2ビル駅があり、東日本旅客鉄道(JR東日本)と京成電鉄が乗り入れている。下記の両駅は両社同じ位置にあるが、改札口は別々である。

このほか、主に空港勤務者などが利用している京成東成田線芝山鉄道東成田駅利用でもアクセス可能(現在の成田空港駅開業前は、東成田駅が「成田空港駅」を名乗っていた)。各ターミナルまで無料ターミナル間連絡バスがある他、東成田駅改札の横から空港第2ビル駅を経由して第2ターミナルへ抜ける全長500mの地下通路が延びており、徒歩でも雨にぬれずに移動可能である。

バス[編集]

高速バス・リムジンバス

東京空港交通成田空港交通京成バス千葉交通平和交通などが東京シティエアターミナルや主要ホテルなどの都内各地や千葉県内の主要駅、横浜シティ・エア・ターミナルや羽田空港などとの間を5分-60分に1本程度の頻度で運行。発着地により共同運行会社も乗り入れる。「行き先とのりば案内

  • 2012年7月3日から京成バスと成田空港交通が東京駅八重洲口、東雲車庫を結ぶ格安便「東京シャトル」の運行を開始した。
  • 2012年8月10日から平和交通が銀座駅、東京駅を結ぶ格安便「THE アクセス成田」の運行を開始した。(同時に開設した鎌取駅、誉田駅、土気駅、大網駅への路線は2013年4月に廃止)
  • 2012年12月3日から成田空港交通が有楽町駅、東京駅、西船橋駅からの深夜急行バスの運行を開始した(既存の深夜急行バスの延伸)。
  • 2012年12月13日から成田空港交通、千葉中央バスが誉田、鎌取地区を結ぶ高速バスの運行を開始した。(2014年3月31日限りで廃止)
一般路線バス

成田空港交通、千葉交通が運行している。

タクシー[編集]

ヘリコプター[編集]

  • 森ビルシティエアサービス「東京-成田 ヘリダイレクト」(運航はエクセル航空
    • 運航区間はアークヒルズヘリポート東京都港区)- 成田空港ヘリパット。以前は、佐倉ヘリポートまでヘリコプターで移動し、空港まではハイヤーに乗り継いでいた。
    • 港区・千代田区・中央区・渋谷区、新宿区のホテル等へハイヤーによる無料送迎がある。
    • 一部の航空会社は、ファーストクラスの乗客に対して成田空港 - 東京都区内間を無償で利用できるサービスを提供していた。

かつて1988年6月20日から1991年11月19日まで、羽田空港および横浜みなとみらい21との間でシティ・エアリンクの運航によるヘリコプター航路もあった。

自動車[編集]

自動車で空港へアクセスする場合、以下3つのルートがある。どのルートでも空港敷地進入時にはゲートにて運転免許証などの身分証明書を提示し、乗用車バスはトランクのチェックを、トラックは荷室のチェックを受ける必要がある(貨物地区進入時へはもう1回チェックを受ける必要があり、入門証を常備しない車輌は臨時入門証の発行を受けなければならない)。

日本国外からの要人の訪日や反対派によるデモ、空港内における事件、事故などによって一時的にゲートが封鎖される場合がある。なお、ゲートにおける検問を廃止する計画があると発表された[1]

歴史[編集]

  • 鉄道

東京都心までは50 - 60km程度あり、東京都心部への用務客は移動に要する時間が比較的長いために、当初は東京 - 成田空港間に成田新幹線を建設し結ぶ計画で、開港時には第1ターミナル地下に鉄道駅の施設がほぼ完成していた。しかし、騒音などの被害が出ることを嫌った沿線(特に東京都江戸川区千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市))自治体や住民の反対運動が激しく中止となった。さらに空港自体の建設が難航したための余波を受け、千葉県内の道路鉄道などの公共事業の計画は大幅に狂った。空港建設時の様々な問題から千葉県では収用委員会が機能停止し、道路や鉄道建設の用地取得が進まなくなってしまったためである。

1978年の開港時には、京成電鉄が旧成田空港駅(現在の東成田駅)まで「スカイライナー」の運行を開始した。しかし、空港ターミナルへは空港敷地内の旧成田空港駅からバスへ乗り継ぐ必要があり、その不便さから利用客は増えなかった。空港アクセス鉄道問題解決への動きは進展せず、都心部と空港ターミナルを直結する軌道系交通機関が存在しなかった上、もう一つの主要アクセス手段である定期バスも渋滞にはまると移動時間が読めなかった。そのため、日本国外のガイドブックで「エラーポート」と評される[2]ほど、都心からの距離の遠さと所要時間の長さは、世界の主要空港との比較で見劣りした。

当初、成田新幹線計画が混迷したこともあって別の方法も模索され、1982年に新東京国際空港アクセス関連高速鉄道調査委員会が運輸省(当時)にA・B・Cの3案を答申し、1984年に運輸省はB案(北総線延伸)を採択し推進すると決定した[3]

1987年に、当時運輸大臣を務めていた石原慎太郎は、「不便な国際空港」と呼ばれていた状況を見て、建設途中で中止となった成田新幹線(東京駅 - 成田空港駅間)の路盤と駅などの設備の一部を活用して東日本旅客鉄道(JR東日本)と京成電鉄の路線をそれぞれ分岐・延伸の上、成田空港に乗り入れる案(成田空港高速鉄道)を指示した[3]。これらの路線は1991年に開業した。これにより、空港ターミナル(現第1ターミナル)直下に駅ができ、「成田エクスプレス」が東京駅までを最短53分で結ぶ[4]など利便性が向上した。また、京成電鉄では京成本線のそれまでの「成田空港駅」を「東成田駅」に改称し、新たに開業した成田空港高速鉄道との分岐地点である駒井野信号場 - 東成田駅間を京成東成田線として分離して支線扱いの路線とした。同線開業の翌年、第2ターミナル開業の際には、同時に空港第2ビル駅が設置された。

滞っていたB案も鉄道アクセスの充実のため、京成線の短絡線として北総線を経由する成田スカイアクセス(成田新高速鉄道)プロジェクトとして進められ、2010年7月17日に旅客営業を開始し、JR東日本山手線等の日暮里駅から成田空港への所要時間が最速36分と短縮された。

また、都心と時速300 kmのリニアモーターカーで結ぶ「羽田・成田リニア新線構想」を神奈川県松沢成文知事や千葉県森田健作知事[5]が提唱している。ルートは、両空港間以外にも、横浜から東京都内や千葉を経て成田空港に至るもので、新宿やさいたま新都心までの支線も整備も考えられている。この構想が実現すれば、両空港間のアクセスが約27分と短縮される。この構想について、国土交通省が2009年2月に総事業費3兆円と試算を示したが、財源など実現に向けての課題がある[6][リンク切れ]

  • バス

1978年の開港時に、東京空港交通などの運航する定期バス「リムジンバス」が、空港ターミナルと東京シティエアターミナルや都内の主要ホテルなどの都内各地や千葉県内の主要駅、羽田空港との間を5分-60分に1本程度の頻度で運行された。1979年に運用を開始した横浜シティ・エア・ターミナルとの間も10分-60分に1本程度の頻度で運航が行われ、成田空港と都内、羽田空港、横浜を結ぶ主要な交通機関となった。

だが開港当時は首都高速湾岸線の多くが完成していなかったため、箱崎ジャンクション付近を中心として首都高速都心環状線とその放射線において渋滞が慢性的に起きていた。この渋滞にはまると、成田空港と都内、羽田空港、横浜方面との移動の時間が読めないことが問題となった。

しかしその後、1980年代に入り首都高速湾岸線の多くが完成したため、リムジンバスが箱崎ジャンクションの渋滞を避けて都内へ向かうことが可能となった上に、1983年に高速湾岸分岐線が開通したことから、定期バスにより成田空港と羽田空港、横浜方面を結ぶアクセスが改善した。さらに1997年東京湾アクアラインが開通したため、首都高速湾岸線や首都高速1号羽田線の渋滞時には、これを避けて羽田空港及び横浜方面へ向かうことが可能になった。

なお、東京シティエアターミナルでは、日本航空やユナイテッド航空、大韓航空などの主な航空会社の搭乗手続きや出国審査の手続きが可能だった。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響による各航空会社のセキュリティ強化および行政改革の一環として、2002年に搭乗手続き業務、出国審査業務ともに終了した。

2012年7月3日から、京成バスが東京駅~成田空港間で格安高速バス「東京シャトル」の運行を開始した。同区間を運行するリムジンバスの運賃の3分の1という運賃の安さにより利用者が急増している。また、同年8月10日からは平和交通も同区間で格安高速バス「THE アクセス成田」の運行を開始している。

就航路線[編集]

就航会社[編集]

旅客便(国際線)の発着便数は、日本航空グループが最大で、全日本空輸グループデルタ航空ユナイテッド航空がそれに次ぐ。デルタ航空やユナイテッド航空は以遠権を基に、アメリカ線のみならずアジア線も運航している。そして東京国際空港(羽田空港)にも乗り入れる大韓航空中国国際航空が続く形となっている。旅客便(国内線)の発着便数は、ジェットスター・ジャパンを最大に、全日本空輸、日本航空と続いている[7]

貨物便では、成田国際空港を本拠地として使用している日本貨物航空、続いてフェデラルエクスプレス全日本空輸ユナイテッド・パーセル・サービスが上位を占めている[7]

上記の通り旅客ターミナルはアライアンス別に分かれていて、基本的に第1ターミナル北ウイングにスカイチーム加盟各社、第1ターミナル南ウイングにスターアライアンス加盟各社、第2ターミナルにワンワールド加盟各社が発着している。ただし2014年10月26日現在の時点で、スカイチーム所属だが第2ターミナル発着の中国東方航空チャイナエアラインなど、いくつかの例外もある。

  • 臨時便、不定期便、チャーター便のみの就航会社を除く
  • 太字は、成田をハブ空港にしている航空会社
  • 「*」は、相手の機材・乗務員で共同運航している航空会社
  • ( )内の記号は最初が、航空会社の2レターコード(国際線)又は3レターコード(国内線)、2つ目が、航空連合(アライアンス)の意味
    • 2つ目の( )がない航空会社はアライアンスに加盟していない航空会社となっている
    • (ST)は、スカイチーム、(SA)は、スターアライアンス、(OW)は、ワンワールドにそれぞれ所属している航空会社
      • 既にアライアンスへの加盟手続きを行った航空会社については加盟予定と記述

第1ターミナル 北ウイング[編集]

航空会社 目的地
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 デルタ航空 (DL) (ST) (北米) ジョン・F・ケネディ国際空港(ニューヨーク)、ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港(アトランタ)、デトロイト・メトロポリタン・ウェイン・カウンティ空港(デトロイト)、ミネアポリス・セントポール国際空港(ミネアポリス)、ロサンゼルス国際空港(ロサンゼルス)、ポートランド国際空港(ポートランド)、シアトル・タコマ国際空港(シアトル)

(太平洋) ホノルル国際空港(ホノルル)、 サイパン国際空港(サイパン)、グアム国際空港(グアム)、パラオ国際空港(コロール)

(アジア) 上海浦東国際空港(上海)、台湾桃園国際空港(台北)、ニノイ・アキノ国際空港(マニラ)、スワンナプーム国際空港(バンコク)、シンガポール・チャンギ国際空港(シンガポール)

ロシアの旗 ロシア アエロフロート・ロシア航空 (SU) (ST) シェレメーチエヴォ国際空港(モスクワ)、ロンドン・ヒースロー空港(ロンドン)、シャルル・ド・ゴール国際空港(パリ)、フィウミチーノ空港(ローマ)
ロシアの旗 ロシア オーロラ (HZ) ウラジオストク空港(ウラジオストク)
メキシコの旗 メキシコ アエロメヒコ航空 (AM) (ST) メキシコ・シティ国際空港(メキシコシティ)
イタリアの旗 イタリア アリタリア-イタリア航空 (AZ) (ST) フィウミチーノ空港(ローマ)、ミラノ・マルペンサ国際空港(ミラノ)、ヴェネツィア・テッセラ空港(ヴェネツィア)
フランスの旗 フランス エールフランス (AF) (ST) シャルル・ド・ゴール国際空港(パリ)
オランダの旗 オランダ KLMオランダ航空 (KL) (ST) スキポール空港(アムステルダム)
大韓民国の旗 韓国 大韓航空 (KE) (ST) 仁川国際空港ソウル)、金海国際空港(釜山)、済州国際空港(済州)、ホノルル国際空港(ホノルル)
中華人民共和国の旗 中華人民共和国 中国南方航空 (CZ) (ST) 大連周水子国際空港(大連)、広州白雲国際空港(広州)、長春龍嘉国際空港(長春)、瀋陽桃仙国際空港(瀋陽)
イギリスの旗 イギリス ヴァージン・アトランティック航空 (VS) ロンドン・ヒースロー空港(ロンドン)(2015年2月1日をもって運休予定)
Flag of New Caledonia.png ニューカレドニア エア・カレドニア・インターナショナル (SB) ヌメア国際空港(ヌメア)
ベトナムの旗 ベトナム ベトナム航空 (VN) (ST) ノイバイ国際空港(ハノイ)、タンソンニャット国際空港(ホーチミンシティ)、ダナン国際空港(ダナン)
インドネシアの旗 インドネシア ガルーダ・インドネシア航空 (GA) (ST) スカルノ・ハッタ国際空港(ジャカルタ)、ングラ・ライ国際空港(デンパサール)

第1ターミナル 南ウイング[編集]

航空会社 目的地
日本の旗 日本 全日本空輸 (NH) (SA) (東アジア) 北京首都国際空港(北京)、上海浦東国際空港(上海)、瀋陽桃仙国際空港(瀋陽)、杭州蕭山国際空港(杭州)、成都双流国際空港(成都)、廈門高崎国際空港(廈門)

(東南アジア・南アジア) ニノイ・アキノ国際空港(マニラ)、スワンナプーム国際空港(バンコク)、シンガポール・チャンギ国際空港(シンガポール)、スカルノ・ハッタ国際空港(ジャカルタ)、ヤンゴン国際空港(ヤンゴン)、インディラ・ガンディー国際空港(デリー)、チャットラパティー・シヴァージー国際空港(ムンバイ)

(ヨーロッパ) シャルル・ド・ゴール国際空港(パリ)、デュッセルドルフ国際空港(デュッセルドルフ)

(北米) ジョン・F・ケネディ国際空港(ニューヨーク)、ワシントン・ダレス国際空港(ワシントンD.C.)、シカゴ・オヘア国際空港(シカゴ)、ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港(ヒューストン)(2015年6月12日より就航開始予定)、ロサンゼルス国際空港(ロサンゼルス)、サンフランシスコ国際空港(サンフランシスコ)、シアトル・タコマ国際空港(シアトル)、ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港(サンノゼ)

日本の旗 日本 エアージャパン(ほぼ全てを全日本空輸便として運航)(NQ) (SA) 大連周水子国際空港(大連)、青島流亭国際空港(青島)、広州白雲国際空港(広州)、 香港国際空港(香港)、台湾桃園国際空港(台北)、タンソンニャット国際空港(ホーチミンシティ)、ホノルル国際空港(ホノルル)
中華人民共和国の旗 中華人民共和国 中国国際航空 (CA) (SA) 北京首都国際空港(北京)、上海浦東国際空港(上海)、大連周水子国際空港(大連)、成都双流国際空港(成都)、重慶江北国際空港(重慶)、深圳宝安国際空港(深圳)、杭州蕭山国際空港(杭州)
大韓民国の旗 韓国 アシアナ航空 (OZ) (SA) 仁川国際空港(ソウル)
大韓民国の旗 韓国 エアプサン (BX) 金海国際空港(釜山)
カナダの旗 カナダ エア・カナダ (AC) (SA) バンクーバー国際空港(バンクーバー)、カルガリー国際空港(カルガリー)
オーストリアの旗 オーストリア オーストリア航空 (OS) (SA) ウィーン国際空港(ウィーン)
シンガポールの旗 シンガポール シンガポール航空 (SQ) (SA) シンガポール・チャンギ国際空港(シンガポール)、ロサンゼルス国際空港(ロサンゼルス)
スイスの旗 スイス スイスインターナショナルエアラインズ (LX) (SA) チューリッヒ空港(チューリッヒ)
ノルウェーの旗 ノルウェーデンマークの旗 デンマークスウェーデンの旗 スウェーデン スカンジナビア航空 (SK) (SA) コペンハーゲン国際空港(コペンハーゲン)
タイ王国の旗 タイ タイ国際航空 (TG) (SA) スワンナプーム国際空港(バンコク)
トルコの旗 トルコ ターキッシュ エアラインズ (TK) (SA) アタテュルク国際空港(イスタンブール)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ユナイテッド航空 (UA) (SA) (北米) ニューアーク・リバティー国際空港(ニューヨーク)、ワシントン・ダレス国際空港(ワシントンD.C.)、シカゴ・オヘア国際空港(シカゴ)、デンバー国際空港(デンバー)、ロサンゼルス国際空港(ロサンゼルス)、サンフランシスコ国際空港(サンフランシスコ)、ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港(ヒューストン)

(太平洋) ホノルル国際空港(ホノルル)、グアム国際空港(グアム)

(アジア) 仁川国際空港(ソウル)、シンガポール・チャンギ国際空港(シンガポール)

ドイツの旗 ドイツ ルフトハンザドイツ航空 (LH) (SA) フランクフルト国際空港(フランクフルト)
ニュージーランドの旗 ニュージーランド ニュージーランド航空 (NZ) (SA) オークランド国際空港(オークランド)、クライストチャーチ国際空港(クライストチャーチ)
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン ウズベキスタン航空 (HY) タシュケント国際空港(タシュケント)
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 エティハド航空 (EY) アブダビ国際空港(アブダビ)
台湾の旗 台湾 エバー航空 (BR) (SA) 台湾桃園国際空港(台北)、高雄国際空港(高雄)
モンゴル国の旗 モンゴル MIATモンゴル航空 (OM) チンギスハーン国際空港(ウランバートル)

第2ターミナル[編集]

航空会社 目的地
日本の旗 日本 日本航空 (JL) (OW) (東アジア) 北京首都国際空港(北京)、上海浦東国際空港(上海)、大連周水子国際空港(大連)、広州白雲国際空港(広州)、仁川国際空港(ソウル)、金海国際空港(釜山)、香港国際空港(香港)、台湾桃園国際空港(台北)、高雄国際空港(高雄)

(東南アジア・南アジア) ニノイ・アキノ国際空港(マニラ)、スワンナプーム国際空港(バンコク)、シンガポール・チャンギ国際空港(シンガポール)、ノイバイ国際空港(ハノイ)、タンソンニャット国際空港(ホーチミンシティ)、クアラルンプール国際空港(クアラルンプール)、スカルノ・ハッタ国際空港(ジャカルタ)、インディラ・ガンディー国際空港(デリー)

(ヨーロッパ) ドモジェドヴォ空港(モスクワ)、シャルル・ド・ゴール国際空港(パリ)、フランクフルト国際空港(フランクフルト)、 ヘルシンキ・ヴァンター国際空港(ヘルシンキ)

(太平洋・オセアニア) ホノルル国際空港(ホノルル)、グアム国際空港(グアム)、シドニー国際空港(シドニー)

(北米) ジョン・F・ケネディ国際空港(ニューヨーク)、ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港(ボストン)、シカゴ・オヘア国際空港(シカゴ)、ロサンゼルス国際空港(ロサンゼルス)、バンクーバー国際空港(バンクーバー)、サンディエゴ国際空港(サンディエゴ)

日本の旗 日本 バニラ・エア (JW) 仁川国際空港(ソウル)(2015年3月29日をもって運休予定)、台湾桃園国際空港(台北)、香港国際空港(香港)、高雄国際空港(高雄)(2015年2月1日から就航開始予定)
中華人民共和国の旗 中華人民共和国 中国東方航空 (MU) (ST) 北京首都国際空港(北京)、上海浦東国際空港(上海)、南京禄口国際空港(南京)、西安咸陽国際空港(西安)、青島流亭国際空港(青島)
香港の旗 香港 キャセイパシフィック航空 (CX) (OW) 香港国際空港(香港)、台湾桃園国際空港(台北)
台湾の旗 台湾 トランスアジア航空 (GE) 台湾桃園国際空港(台北)
オーストラリアの旗 オーストラリア カンタス航空 (QF) (OW) シドニー国際空港(シドニー)
オーストラリアの旗 オーストラリア ジェットスター航空 (JQ) ケアンズ国際空港(ケアンズ)、ゴールドコースト空港(ゴールドコースト)、メルボルン空港(メルボルン)
ロシアの旗 ロシア S7航空 (S7) (OW) ウラジオストク空港(ウラジオストク)、ハバロフスク空港(ハバロフスク)
シンガポールの旗 シンガポール スクート (TZ) 台湾桃園国際空港(台北)、シンガポール・チャンギ国際空港(シンガポール)(台北経由便)
スリランカの旗 スリランカ スリランカ航空 (UL) (OW) バンダラナイケ国際空港(コロンボ)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アメリカン航空 (AA) (OW) ダラス・フォートワース国際空港(ダラス)、シカゴ・オヘア国際空港(シカゴ)、ロサンゼルス国際空港(ロサンゼルス)
大韓民国の旗 韓国 チェジュ航空 (7C) 仁川国際空港(ソウル)
大韓民国の旗 韓国 イースター航空 (ZE) 仁川国際空港(ソウル)
フィンランドの旗 フィンランド フィンエアー (AY) (OW) ヘルシンキ・ヴァンター国際空港(ヘルシンキ)
イギリスの旗 イギリス ブリティッシュ・エアウェイズ (BA) (OW) ロンドン・ヒースロー空港(ロンドン)
マレーシアの旗 マレーシア マレーシア航空 (MH) (OW) クアラルンプール国際空港(クアラルンプール)、コタキナバル国際空港(コタキナバル)
マレーシアの旗 マレーシア エアアジア X (D7) クアラルンプール国際空港(クアラルンプール)
インドの旗 インド エア・インディア (AI) (SA加盟予定) インディラ・ガンディー国際空港(デリー)
台湾の旗 台湾 チャイナエアライン (CI) (ST) 台湾桃園国際空港(台北)、高雄国際空港(高雄)、ホノルル国際空港(ホノルル)
Flag of French Polynesia.png フランス領ポリネシア エア タヒチ ヌイ (TN) パペーテ・タヒチ国際空港(パペーテ)
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 エミレーツ航空 (EK) ドバイ国際空港(ドバイ)
カタールの旗 カタール カタール航空 (QR) (OW) ハマド国際空港(ドーハ)
パプアニューギニアの旗 パプアニューギニア ニューギニア航空 (PX) ポートモレスビー・ジャクソン国際空港(ポートモレスビー)
パキスタンの旗 パキスタン パキスタン国際航空 (PK) ベナジル・ブット国際空港(イスラマバード)、アッラーマ・イクバール国際空港(ラホール)、北京首都国際空港(北京)
フィリピンの旗 フィリピン フィリピン航空 (PR) ニノイ・アキノ国際空港(マニラ)、マクタン・セブ国際空港(セブ)
フィリピンの旗 フィリピン セブパシフィック航空 (5J) ニノイ・アキノ国際空港(マニラ)
マカオの旗 マカオ マカオ航空 (NX) マカオ国際空港(マカオ)
タイ王国の旗 タイ タイ・エアアジア X (XJ) ドンムアン空港 (バンコク)
タイ王国の旗 タイ ジェットアジア・エアウェイズ (JF) スワンナプーム国際空港 (バンコク)

貨物航空会社[編集]

航空会社 目的地
日本の旗 日本 ANAカーゴ (NH) (国内線) 関西国際空港(大阪)、中部国際空港(名古屋)、那覇空港(沖縄)

(東・東南アジア) 仁川国際空港(ソウル)、上海浦東国際空港(上海)、大連周水子国際空港(大連)、西安咸陽国際空港(西安)、香港国際空港(香港)、台湾桃園国際空港(台北)、スワンナプーム国際空港(バンコク)

日本の旗 日本 日本貨物航空 (KZ) (国内線) 関西国際空港(大阪)、北九州空港(北九州)

(東・東南アジア) 仁川国際空港(ソウル)、北京首都国際空港(北京)、上海浦東国際空港(上海)、天津浜海国際空港(天津)、香港国際空港(香港)、スワンナプーム国際空港(バンコク)

(ヨーロッパ) スキポール空港(アムステルダム)、フランクフルト・ハーン空港(フランクフルト)、ミラノ・マルペンサ国際空港(ミラノ)

(北米) ジョン・F・ケネディ国際空港(ニューヨーク)、テッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港(アンカレッジ)、シカゴ・オヘア国際空港(シカゴ)、ロサンゼルス国際空港(ロサンゼルス)、サンフランシスコ国際空港(サンフランシスコ)、ダラス・フォートワース国際空港(ダラス)

大韓民国の旗 韓国 大韓航空カーゴ (KE) 仁川国際空港(ソウル)
大韓民国の旗 韓国 エア・インチョン (KJ) 仁川国際空港(ソウル)
中華人民共和国の旗 中華人民共和国 中国国際貨運航空 (CA) 上海浦東国際空港(上海)
中華人民共和国の旗 中華人民共和国 中国貨運航空 (CK) 上海浦東国際空港(上海)
香港の旗 香港 キャセイパシフィック・カーゴ (CX) 香港国際空港(香港)
香港の旗 香港 香港航空カーゴ (HX) 香港国際空港(香港)
香港の旗 香港 エア・ホンコン (LD) 香港国際空港(香港)
台湾の旗 台湾 チャイナエアライン・カーゴ (CI) 台湾桃園国際空港(台北)
タイ王国の旗 タイ タイ国際航空カーゴ (TG) スワンナプーム国際空港(バンコク)、 台湾桃園国際空港(台北)
マレーシアの旗 マレーシア MASカーゴEnglish版 (MH) クアラルンプール国際空港(クアラルンプール)、ペナン国際空港(ペナン)、スナイ国際空港(ジョホールバル)
シンガポールの旗 シンガポール シンガポール航空カーゴ (SQ) シンガポール・チャンギ国際空港(シンガポール)、スワンナプーム国際空港(バンコク)
インドネシアの旗 インドネシア カーゴ・ガルーダ・インドネシア (GA) スカルノ・ハッタ国際空港(ジャカルタ)
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 エミレーツ・スカイカーゴ (EK) ドバイ国際空港(ドバイ) [8]
ロシアの旗 ロシア エアブリッジ・カーゴ (RU) シェレメーチエヴォ国際空港(モスクワ)、スキポール空港(アムステルダム)
フランスの旗 フランス エールフランス・カーゴ (AF) シャルル・ド・ゴール国際空港(パリ)
オランダの旗 オランダ KLMオランダ航空カーゴ (KL) スキポール空港(アムステルダム)
ドイツの旗 ドイツ ルフトハンザ・カーゴ (LH) フランクフルト国際空港(フランクフルト)
スイスの旗 スイス スイス・ワールドカーゴ (LX) チューリッヒ空港(チューリッヒ)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 フェデラルエクスプレス (FX) テッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港(アンカレッジ)、メンフィス国際空港(メンフィス)、オークランド国際空港(オークランド)、広州白雲国際空港(広州)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ユナイテッド・パーセル・サービス (5X) ルイビル国際空港(ルイビル)、オンタリオ国際空港(オンタリオ)、上海浦東国際空港(上海)、クラーク国際空港(クラーク)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 サウザン・エアEnglish版 (9S) テッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港(アンカレッジ)、シカゴ・オヘア国際空港(シカゴ)、仁川国際空港(ソウル)

就航予定の航空会社と路線[編集]

増便・減便・運休 発表[編集]

過去に乗り入れていた航空会社[編集]

定期路線一覧[編集]

原則として到着都市名(リンク先は到着空港)のみを記述するが、同一都市圏に2つ以上の空港が存在もしくは空港名に到着都市名が含まれていないなどの場合は「都市名/空港名」の様式で記述する。

国際線[編集]

東アジア[編集]
東南アジア[編集]
南アジア[編集]
中央アジア[編集]
中近東[編集]
北米[編集]
中南米[編集]
ヨーロッパ[編集]
オセアニア・太平洋[編集]
アフリカ[編集]

運休・廃止路線(旅客便のみ)[編集]

[icon]この節は、書きかけです。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
アジア[編集]
ヨーロッパ[編集]
アフリカ[編集]
北米[編集]
中南米[編集]
オセアニア・太平洋[編集]

国内線[編集]

各路線ともに、乗継の便を考慮して午前中、または夕方成田着と夕方 - 夜間成田発を中心に運航されている。国際線の間合い運用として、国際線用の機材が用いられる便も多い。日本航空・全日本空輸運航便において大半が、同じアライアンスに所属する外国航空会社とのコードシェアを行っている。

第1ターミナル(南ウイング)使用[編集]
航空会社 目的地
日本の旗 日本 全日本空輸 (ANA) [16] 新千歳空港仙台空港新潟空港中部国際空港大阪国際空港福岡空港那覇空港
日本の旗 日本 ピーチ (APJ) 関西国際空港
日本の旗 日本 IBEXエアラインズ (IBX) ・ 全日本空輸 (ANA) 小松空港広島空港
第2ターミナル(北側)使用[編集]
航空会社 目的地
日本の旗 日本 バニラ・エア (VNL) 新千歳空港、奄美空港、那覇空港
日本の旗 日本 春秋航空日本 (SJO) 高松空港、広島空港、佐賀空港
第2ターミナル(国内線エリア)使用[編集]
航空会社 目的地
日本の旗 日本 日本航空 (JAL) [17] 新千歳空港、中部国際空港、大阪国際空港、福岡空港
日本の旗 日本 ジェットスター・ジャパン (JJP)・カンタス航空・日本航空(国際線乗継の場合のみ) [18] 新千歳空港、関西国際空港、高松空港、松山空港福岡空港大分空港熊本空港鹿児島空港、那覇空港

地域別一覧[編集]

統計[編集]

(成田国際空港発)就航路線別旅客数/順位[19]
行き先 旅客数 国内線順位
新千歳空港 約118万人 上位17位
福岡空港 約91万人 上位27位
那覇空港 約73万人 上位36位
大阪国際空港 約48万人 上位50位

管理会社・成田国際空港株式会社[編集]

成田国際空港株式会社(なりたこくさいくうこうかぶしきがいしゃ 英:Narita International Airport Corporation :NAA)は2004年4月1日、成田国際空港株式会社法により成田国際空港の設置及び管理を目的として設立された。新東京国際空港公団の業務を承継した特殊会社で、全株式を政府(国土交通大臣 90.01%, 財務大臣 9.99%)が所有し、政府から資金の無利子貸付をうけ、また当分の間出資や債務保証をうける。一方、営業年度毎の事業計画や新株発行、社債の募集、資金の借入については国土交通大臣の認可を要する。

会社の事業の範囲として、空港周辺における航空機の騒音等により生ずる障害の防止と損失補償のための諸事業が盛り込まれている。

なお、同社の略称であるNAAは、前身の新東京国際空港公団の英字略称(New Tokyo International Airport Authority :NAA)を継承した形で使用しているものと思われる。

2005年11月18日に旧新東京国際空港公団発注の成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製談合の疑いが浮上し、関わった電機企業各社と成田国際空港会社が東京地検特捜部の捜索を受けた。この官製談合疑惑では、成田国際空港の社員2人(懲戒解雇処分)が競売入札妨害の疑いで逮捕されるなど、一連の談合疑惑は官製談合事件へと発展しており、日本の空の玄関でこのような事件が起きたことに対し、非難の声が上がっている。今後、成田国際空港会社が談合体質から抜け出せるかどうか注目されている。

航空管制[編集]

東京航空局成田空港事務所管轄[編集]

局名 周波数(MHz) 運用時間(UTC)
CLR 121.65,121.90
GND 121.80,121.85,121.95
TWR 118.20,118.35,122.70,126.20,236.80
DEP 124.20,127.70
APP 124,40,125.80,261.20
RDR 119.60,120.20,120.60,362.30
TCA 119.45,246.10
ATIS 128.25 21:00-14:00

成田国際空港株式会社管轄[編集]

局名 周波数(MHz)
RAMP 121.60,121.75


航空保安無線施設[編集]

成田国際空港株式会社管轄[編集]

局名 識別信号 周波数
VOR DME
北総 HKE 117.3MHz 1207MHz
成田 NRE 117.9MHz 1213MHz

東京航空局成田空港事務所管轄[編集]

局名 識別信号 周波数 開設日 開設理由
VOR DME TACAN
佐倉 TYE 112.7MHz 1161MHz
印旛 IBE 115.0MHz 1184MHz 平19.12.20-平20.3.13 佐倉局のメンテ
守谷 SNE 114MHz 1174MHz
常総 JSE 108.45MHz 1108MHz 平19.12.20-平20.3.13 守谷局のメンテ
阿見 TLE 116MHz 1194MHz
銚子 CVC 113.6MHz 1170MHz

空港周辺[編集]

  • 航空科学博物館…成田空港の南隣にある
  • 三里塚記念公園…宮内庁下総御料牧場の歴史を後世に伝える為に、御料牧場旧跡地に開設された公園。中には三里塚御料牧場記念館があり、御料牧場百年余の歴史について解説されている。
  • さくらの山公園(成田市)、さくらの丘公園(NAA)…空港のすぐそばにあり、離着陸する飛行機がよく見える駐車場・公衆トイレなどが整備された公園。両方の公園に桜の名前が付くのには、空港建設で移転した宮内庁下総御料牧場が桜の名所として親しまれてきた為。

関連項目[編集]

成田空港問題[編集]

空港反対派による事件[編集]

歌、テレビドラマ、ゲームなど[編集]

東京エアポート

脚注[編集]

  1. MSNニュース(2009年12月2日時点のアーカイブ
  2. 一例として Ian L. McQueen著『Japan: a budget travel guide』、講談社インターナショナル、1992年、210ページには「Narita "errport" (as it has been called) is Japan's contribution to the world's collection of vast projects started on half-vast ideas.」などとある。なお、本書はロンリープラネットより『Japan: A Travel Survival Kit』の題で販売されていたものの改訂版にあたる。現在のロンリープラネット社のガイドは別内容である。
  3. 3.0 3.1 どうなる、こうなる首都圏の鉄道網--(最終回)成田新線・新交通編 - 1 / 2 Business Media 誠 2008年11月7日
  4. JR東日本
  5. 森田健作マニフェストPDF 
  6. 成田〜羽田リニア、事業費3兆円=国交省が試算 時事ドットコム(時事通信)2009年02月24日[リンク切れ]
  7. 7.0 7.1 [1]
  8. EK routemap
  9. [http://www.jiji.com/jc/zc?k=201408/2014080700781 時事ドットコム:香港に11月就航=来年2月に高雄も-格安航空バニラ 時事通信 2014年8月7日付
  10. [http://flyteam.jp/airline/hong-kong-express-airways/news/article/41624 香港エクスプレス、12月8日から香港/成田線就航で1円セール開催 flyteam.jp 2014年10月14日付
  11. Ethiopian to Start flights to Tokyo(エチオピア航空プレスリリース 2015年1月11日)
  12. ニュージーランド航空、東京/成田〜オークランド・クライストチャーチ線を週10便に増便! オークランド発深夜便も! Traicy 2014年3月6日付
  13. ニュージーランド航空、成田線を増便 11月から週10便体制 FlyTeam 2014年3月6日付
  14. 14.0 14.1 運航スケジュール 日本貨物航空
  15. B滑走路延伸の2010年以降復便の可能性あり。日本・スカンジナビア三国航空当局間協議の結果について 国土交通省 平成20年9月17日
  16. ANAウイングスの機材・乗務員で運航する便あり
  17. 日本トランスオーシャン航空JALエクスプレスの機材・乗務員で運航する便あり
  18. [2] 7月3日ジェットスターが成田空港へ就航開始!
  19. (2014-6-3) 平成25年度の航空輸送統計の概況について PDF 国土交通省総合政策局 [ arch. ] 上位50位までを記載

外部リンク[編集]

成田空港周辺自治体リンク[編集]

空中写真・地形図[編集]

  • 成田国際空港1/25000地形図 - 国土地理院 地図閲覧サービス ウオッちず
新東京国際空港(北西) 新東京国際空港(南西) 成田(南東) 多古(北西)
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